先日、母と一緒に父のお墓参りに行ってきました。
亡くなった人がそこにいるとは限らないのだけど、行けばなんだか、「行って良かった!」という気持ちがするので、自分の気が済むだけかもしれないですけれど、それはそれでその気持ちを大切にしたいと思います。
お墓参りの時に、いろんな方のお墓を道すがらに拝見するのですが、「お若くして亡くなられたんだな」とか、「大往生でしたね」とか、いろいろ人の享年から教えられる気がします。
寿命だけはわからないものですけれど、今のように80歳だ、90歳だと多くの人が長く生きられるのは奇跡といってもいいことだと思います。
長寿が年金問題とか社会や経済面にもたらす面はありますが、まずは人が長命でいられる社会を受け入れていろいろ対策して行くことが大切ですね。
さて、そんなこんなのひと時、ふと、茶の間で見たテレビ番組にしみじみ考えさせられました。それは「しんごさん」という非常にけなげな男子がいろんなお店でリアル体験をするという趣旨の番組でした。
その日、しんごさんが向かったのは巣鴨の個人食堂。
ご夫婦でいとなむその食堂。
バブル期は周囲の建て替えラッシュで建設関係者などの利用が多く、一日100食を売る繁盛店だったそうです。
ところが今では一日一食しか出ない日も少なくないとか。
一日1食しかうれないと売り上げは当然のことながら1000円未満。
これが25日続くと20000円くらいにしかなりません。
ご夫婦はともに80歳台で奥様は88歳。
年金が支給されていると思いますけど、これでは店の電光熱費も大変でしょう。
それでもご夫婦は毎日銭湯に通い、翌日も翌日も店を開ける・・・。
ごひいきさんらはどんどん亡くなっていく。
しかし、命ある限り、自分たちはこうでなければ生きられない。そして店を開ける。
しかし、人は来ない・・・。
日本経済の過ぎしこしかた、人間のありかたをしみじみ考えさせられました。
ご夫婦がバブル崩壊を迎えた頃、お二人は65歳前後。
その年で店をたたんで、転身を図るという道もあったかもしれない。
店を売り、どこかで雇われ仕事に付くとか隠居するとか。
でも、もうちょっと頑張ってみよう、もうちょっと・・・・。
そして22年が過ぎました。
ご夫婦にはお子さんがいませんでした。それもあったと思いますが、時間の流れ方の見え方として「もう少ししたら自分の知っている時間の流れが戻ってくるかもしれない」と思われたのかもしれない。
でも、いくらなんでも今の一日1食しか売れない状態がいいとお二人は思われていないでしょう。
では、どうならいいだろうか?
どうなら、理想なのだろうか?
難しい問題だと思いました。
人はどうしたら時間の過ごし方の達人になれるのだろうか?
その番組を見ながら、非常に考えさせられました。
先日、歌舞伎という営々と流れる芸の世界を観てきたばかり。歌舞伎は盛況でしたが、それとていつ食堂のようになるかもしれません。だからこそ、平成中村座は海外遠征もして顧客開拓に挑戦しています。その座長として体を酷使した結果、病に倒れ、復活したから人は中村勘三郎さんや支えた橋之助さんや息子の勘九郎さんを称え、やんやの拍手を送るわけです。
食堂と歌舞伎。
営々と続く人の営み。
いろんな形の挑戦。
言えることは、どちらにも必要なことは「もっと人に知ってもらい見てもらうこと」。そうには違いありません。
その意味で食堂はもっと知られ人に来てもらえる努力が必要でしょう。その食堂に人が詰め掛けたのはしんごさんが商店街にちらしを配りに行った効果から。そして、それはご夫婦に励みとなりました。
そして、意識は再びお墓に。
お墓に入ってしまうと、だんだん人から忘れられ、いつしか、誰にも名前を呼ばれないしーんとした世界にいるような感じになっているのかもしれないなと想像しました。
生きているのに死の世界に足を踏み入れたかのように誰からも名前を呼ばれなくなるようなことは自身が働きかけて解決しなければならないし、自分に力があれば、そうなりそうな人にも呼び掛けて活性化のお手伝いをしなければならないと思います。
生きている人を無視したり、意地悪をして仲間はずれにしたりすると、そうされた人は幽体離脱(生きているのに死者の世界にいるかのような状態)に陥り、それが障りとなって祟るのではないかという私流の解釈もしてみました。
死者を悼むにはその人の名を呼び、その人の功績をたたえ、感謝したりいつくしんで思い出したりすること。噂して思い出すこと。
ましてや生きている人おや。
お墓参りをきっかけに生前の父の趣味(地図おたくというか構造おたくというか城とか鉄道とか駅名とかが大好きでした)を母と語りました。
それでか、お墓参りした夜、気のせいかなんだかにかにかした顔で父が部屋の入口に立っている気がしたのでした。