自分を信じて歩いていこう!

どんなに仕事をたくさん頂いて、やらせていただいても、毎回、課題があります。
こうすればよかった、ああすればよかったと仕事した後からすぐ、新たな課題が浮かび上がってきます。

前に前に行こう、品質を上げよう、少しでも人の役に立とうという思いが空回りして、相手がオムレツをオーダーしているのに、凝りに凝ったラーメンを出し、「どうです、うまいでしょう?」といっているようなことがありはしないか、難しく、重たくなってはいないか、失敗すまいと保守的になってはいまいか?

自分でガラスの天井を作っていないか?

などなど、気にすれば枚挙にいとまがありません。

名人といわれる人の死に物狂いの切磋琢磨に接して、「すごい! わかる!」と共感しながらも、「もっと軽快に明るく楽観的にさわやかさがあってもいいのではないか?」との思いも持ちます。その凄み自体にしがみつかず、さらっと捨てる努力も必要ではないかと。

自分のしてきたことにこだわりを持ちすぎると、我知らず自分ビイキのあつかましさが出て、それに依存してしまいます。それがすなわち老化なのだと先人の例に気がつきます。

人はどんどん耕され新しい人が、若者が、世の中に出てきます。彼らの時間世界の中では、見えていない世界の住人になっているのに、自分は相手と同じ時空にいると思っている。これも老化の一種。若い人でも「過去の栄光」にしがみついてそうなる例があります。

人は10代の気分を引きずったまま20歳になります。しかし、25才を目前にすると30歳代に大台代わりすることに愕然とします。そして、過去いた居心地のよい時間世界の住人として無理無理振舞おうとします。

その期間は人から見ると見苦しいのですが、本人は大真面目です。必死です。悩みます。しかし、あるとき「解」を手に入れる。

最近、立て続けに、一目あった瞬間から「わー、すがすがしいなあ」という人と知り合いました。
そしてやっと私は悩んでいたことに一つの「解」を得られた気がしました。

一目見て「わー」と思える信頼感を持てる能力が人間にはあることを信じなくてはと。
だからカッコつけないで自分を信じて歩いて行こうと。

それと、理不尽なことには必ず、自分で決着をつけなくても、因果律がその人に「解」をもたらすはずだと。

だから理不尽なことがあっても、気にしないでまっすぐ自分の信じる道を歩いていこうと思いました。

この思いはNHKの派遣切りの討論会を見ていて、自分の中で形になった「解」でもあります。

人が何とかしてくれるとか、甘い期待をもったりだとか、政府が何かすべきだ論とかを聞いていて、私の中にも甘えがあるな、と強く意識しました。
何に甘えているかというと、「私はこんなに努力している」というこだわりに、です。

努力するのは当たり前。その上で課題があるのであり、課題克服のために日々、死に物狂いで生きていく。それが生きるということだ。そんな当たり前のことがふっと、「解」として体に落ちたのです。

誰も助けてくれない。自分で何とかするしかない。でも、ちやんと努力していれば、一目見ただけで「あ!」と思えるような素晴らしい仕事仲間とも知り合えて、ビジネスが広がっていく。

自分は何も心配しないで、死に物狂いでやっていけばいいんだ! 自分を信じて生きていこう!

ふっといろんな事象がつながって、なぜか、そんなことを強く思った次第です。

by yoshi-aki2006 | 2009-02-08 01:54 | シンキング | Comments(2)  

Commented by としぼう at 2009-02-08 13:27 x
いつも思うのですが先生のお話は深く濃くうなづくことばかりです。

頑張ってます、努力してます、があらわになっているうちはホンモノではないと感じます。ホンモノは努力や頑張りを本人が自覚してなかったり、(すでに成功者であれば)そんなこと忘れちゃった。。。みたいな境地にあることではないか?と。
・・・重苦しくない、という感じでしょうか。

自分の道を自分なりに懸命に歩いていればこそ、のひらめきや直感で素晴しい出会いを引き寄せることができるのかな・・・と。潜在意識に沁みこむように思い考え続けていることはなにかしらの形で糸口がみえてくると信じたいです。

言いたいことが支離滅裂なのですが(^^;)、より高みを目指す先生を応援する気持ちでいっぱいになりました。
Commented by yoshi-aki2006 at 2009-02-09 18:15
としぼうさん

いつもありがとう。仕事で反省することばかりです。課題克服に向けて前向きに生きていこうと思います。これからもよろしくです!

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