とりかえばや

河合隼雄氏の著書に紹介されていたが「とりかえばや」という考え方が昔の日本にはあったようだ。

人や自分を省みるとき、私もこの方法を時々使う。
人は都合よく仮面弱者になる。特に女性は気をつけなければならない。
私は女だから。
私は主婦だから。
そんなふうに言い訳していろいろな自己都合を他者に肯定してもらおうとする。

A子さんから「私は男性にはとびきり高いものをご馳走してもらわないと気が済まないんです。私にとって高価な食事とはステーキ。だからデイトでは高級レストランのステーキ・コースを食べるんです。が、肉の食べすぎでコレステロール値が上がり、病院通いしました」と聞いた。

A子さんは細くて色白。地味可愛系。ぱっと見は、チャパチーでもなくファッション・センスもまずまず。外見からは後ずさりする要素のないお嬢さんである。

しかし、本人は地味な容貌とは対照的にきわめて上昇志向が強く、学生時代はタレント活動に首を突っ込み、アナウンサー志望であのテこのテを使って試験に臨み、悪あがきした挙句、就職は不本意ながら専門紙の記者に。
「男とは肉」発言はその当時のことである。

「たとえばたまにはラーメンやうどんじゃダメなの?」
「ダメです」
「何でよ?」
「とにかく高いものじゃなきゃいや。だからステーキハウスか一流ホテルでのステーキです。私とのデイトでは株主優待や割引券使用もダメです」
「どうして人からそこまで収益を得ようとするの? アナタにとって男は肉代を払う財布? そんなに肉が食べたけりゃ家で自分の金で肉買ってステーキ作ればいいじゃない? あるいはお一人様でも店で自分の金で食べれば? あなたも立派な社会人でちゃんと収入もあるんだし。ステーキ代金でアイデンテティが高揚したりしぼんだりするって何かヘン」


たしか帝国ホテルのステーキ・コースはスタンダードで15000(税別)円くらいする。当然というべきか、父親、叔父上、上司くらいの年齢の男がA子さんをエスコートする機会が多かった。
世にフリーランチはない。男たちはしっかりアフターディナーを楽しんだ。

ちなみに高級ホテルなどで鉄板焼きを食しているカップルを観察すると見事に二手に分かれる。たたき上げの経営者らしき男性が糟糠の妻と食事しているケースとアフターディナーが予定されているのが丸分かりの男がそわついているケースである。
好みだが、前者のほうが断然渋くていい男が多い。

A子さんは心置きなく話せる相手が欲しかったようだ。忘れた頃に用事にかこつけて自慢とも相談ともつかないことを話したがった。

こんな時は「とりかえばや」である。「とりかえばや」とは早い話が女性と男性を入れ替えることだ。A子さんの発言を男に替えてみるとどうなるか?
「僕さあ、女性に高いものをおごってもらわないと嫌なんだよね。身も心も奮い立たないの」

という具合だ。どんな育ちかたをしたのかお里が知れるというかヒモ、タカリみたいなことを言っているように聞こえる。あるいは劣等感の強い自己評価の低い人。「かなりな馬鹿?」「軽薄」とも思える。
志の低い人であることは確かな気がする。

そんな男と自分は付き合いたいか? と考えるわけだ。

人にノーというのは決断がいるが、ジェンダー、年齢、仕事、家族なと゜自分との関係がフィルターになって、「まあ、彼女がああなるのもしかたがないか」とか「年老いて気が弱くなっているのかも」と許容してしまうことがある。

「とりかえばや」で考え直すと、女だから許されると思っていることが実は自分に甘ちゃんなだけで、それが男なら、そんなの友達としても嫌だよ、というケースがある。

場合によっては女としては嫌だけど、男だったら許せる、そう思える意外なケースもある。
自分を男に置き換えると、父親に似ている部分を発見してびっくりし、以降、父と親しく話が出来たりする。親の因果が子に、とはこういうことかと考えるきっかけにもなる。
自分の身の回りの人間を女を男に、男を女に取替えてみて
「こんな女好き?」「こんな男はどう?」と考えてみると結構面白い(木村佳子)。

by yoshi-aki2006 | 2006-03-12 03:01 | 人間考察 | Comments(0)  

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