コンプリート願望とフラメンコ
2010年 10月 11日
でも、単発でなら素敵な先生のレッスンを受けることができる。
今回、スペイン舞踊家、フラメンコ教室主宰の鈴木敬子さんの特別レッスンのうち、後半の一日を受講することができた。
お教室に行くのは実に半年ぶりか一年ぶり。
先生も生徒として通われている皆さんもまったく時間が止まっているかのようにお変わりなく、きっと体を動かすことで成長ホルモンが出続けているんだろうな、と思った。
さて、レッスンでは・・・・。やっぱり「とほほ」の連続でありました。
私の場合、20歳代ならもっともっと体が動いたと思うが、なにしろ、通常ならダンサーが現役を引退するような年齢から習い始めたことやずっと筋腫もちで手術を機にレッスンから遠ざかっていること、元気で気力はあるがそれと体が動かせることとは別物であることから、何年習ってもほとんど踊れない。
フラメンコは5分~15分、全力で疾走するくらいハードなもので、どんな踊りより強烈だ。
しかし、そのことが人の「完璧にやりたい」という気持ちを刺激する。
この願望を「コンプリート願望」というのだと新田ヒカルさんから教わった。
私は常々、コンプリート願望から解放されたいと思っているので、途中、ちゃんとできなくてもあまり気にしないことにしている。「できない」「できてない」ことがはっきり自分でわかれば、できる人を尊敬することができる。これで謙虚な気持ちを取り戻せる。
人はさまざまだ。コンプリート願望と現実を一致させようと必死でくらいついていく人。
ついにその願望と現実を一致させて達成感を味わう人。
必死にならなくても、すーっと踊れる人。
人の踊りを観ていると、容貌にも恵まれ、体も動き、振り付けの飲み込みも早く、意識も高く、「あー、この人、伸びていく人だなあ」という人がいる。
彼女もコンプリート願望と現実を一致させようとしているのだと思うが、フラメンコにおいてはその垣根がエベレストを登るよりはやすやすと上れる丘なのかもしれない。
私? 私のフラメンコはエベレストの断崖をのぼる蟻のようだよ。
欲張って90分クラスを二コマも取ったんで途中から、疲れ果てて夢遊病者のようになってしまった。
が、「ちゃんと踊んなくちゃ!」と気構えしている前半のクラスでより無心(放心?)して踊った後半のほうがまだ、体は動いた感がありました。
帰り道、スタバで熱いコーヒーを飲んだら、しゃきんとするかな、と思いましたが、実に半年、一年ぶりの狼藉ですっかり疲労困憊。歩いている間、すっぱいものがこみ上げてきて、自宅にたどり着いたとたん、気絶寸前のへたれ状態に。
しかし、先生の鈴木敬子さんはなんと14時から19時すぎまで踊りっぱなしだ。
鈴木敬子さんはこれからライブが控えている。
きっと素敵なステージだと思う。
コンプリートな踊り。
ぜひ、見に行きたいとチケットを申し込んだ。
「観ているほうが素敵」と思いつつ、でも、素敵なステージにまた、むくむくと「私も踊れたら」と懲りない「私も私も」という願望に誘われるんだろうなあ。
やっとこの数年でエベレストより、上れる丘を登るべしと踊りでは割り切ったんですけどね
by yoshi-aki2006 | 2010-10-11 08:03 | アンテナ | Comments(0)