50歳代のクライシス
2010年 10月 18日
私も17歳の時、ものすごくおばあさんになった気がしてひどく気分がめいった。20歳に乗ったときはこの世の終わりみたいに思ったし、30歳代になったときは「ババー界」に足を踏み入れたと嘆かわしくもだんだん、あつかましくなり、40歳代では居直り気分で成熟の喜びを感じたりもした。
男の人はどうだろう?
かの巨匠、渡辺淳一先生は女は37歳、男は54歳が山の限界とおおせられていたような。
確かに女の37歳はわかる。
それ以上だとあつかましさが強くなる。
居直る。
開き直る。
おっさん化も見られる。
うぶさの残るおばさん手習いの37歳が色気の限界だという渡辺先生のご慧眼には深く同意する。
男54歳も渡辺先生のご指摘が正しいのだろう。
それ以上になるとおっさん、いやあつかましい爺さんの要素が強くなるような気がする。
ところで、女はもはや30歳代、40歳代で相当、クライシスを経験するので50歳というのは意外とさばさば迎えられるような気がする。
しかし、男は難しいのではないかと思う。
男の厄年は42歳だが、42歳というのは30歳代の余韻が残っている年である。仕事は社会的責任のある立場になる人も少なくないのにその30歳代の勢いで女性などにちょっかいを出し、えらいことになる、という戒めがあったり、体力がつるべ落としのように落ちていくのに無理をするので体を壊しやすいという戒めがあったりする。
でも、まだ40歳代の蹉跌はなんとか立ち直れる。
が、無体なことを続けていると50歳前後で体が本当に悲鳴を上げ始める。
もはや容易に体は元に戻らない。
その「体力」クライシスと
精神的なクライシスがある。
精神的なクライシスは「そろそろもう、会社、あるいは現場で御用済みが近いのでは?」という足元揺らぎ感。
かわいがってくれた先輩がいなくなり、強い取り残され感も感じるようだ。
これまで男前で鳴らして、仕事もできて、体力もあって、
という人が、容色衰え、女からちやほやされなくなり、仕事でももはや過去の人で力を失い、次第に単なる爺さんの範疇に足を踏み入れつつある自分の現実に初めて気がつくのが男の場合、50前後ではないか。
仕事が今のトレンドから外れていたり、大きな会社にいたのに斜陽化していたりすると、過ぎ去ったものの大きさに驚きおののき、もはや容易なことでは大きな山は踏めないと自覚が生まれる。
そういうときって結構、がっくり来てしまうんではないか。
子供が育ち、家族が支えになるだとか、仕事が新展開を見せるとか、あるいはいっそジジ化を受け入れその中でご機嫌にやっていける足場を作るとか、それがない場合は本当にやばい。
親や先輩、仲間が次々に銀世界を形成したと思ったら、あの世に
旅立って自分の身の回りは枯れ木も生えてないというような寂寥感が襲ってくる。
私は五年ほど前から今の日本で自分は異邦人のようだなあ、ここは私の知っている世界ではない、外国だと思わないとなという寂寥感と少しずつ仲良くしてきたから、そう一気にクライシスに陥ることはない。
でも身の回りの男たちの中には50歳代になって急にさびしさを覚え、悩んでいるケースもあるような印象を受けている。
みんな通る道。
さびしいのはみんな同じ。
一人で生まれて一人で死ぬということをそろそろ考え心を鍛える年。
それが50歳代なんじゃないのかな。
クライシスに悩む人にはそんな知ったかぶりを言っているこのごろ。
やなババーだ(人に言われる前に自分でいっとく)
by yoshi-aki2006 | 2010-10-18 23:34 | 生きる力 | Comments(4)