エゴ、アイデンテティの使い物にならない衣を捨てて・・・

大学院に行ってよかったことは自分の好みで読んでいた本以外の書物を先生たちに教えてもらったことだ。
それと、考え方の転換のヒントもたくさんいただいた。

私が、私がという小さなエゴに固執する人が増えることは資本主義の発展にはものが個別に売れるため、わかりやすくていいかもしれないが、最近、その考え方、感じ方に強い疑問を感じるようになった。

桐のたんすを三代で使うとか、一家で何代もすみ、みんなで少しずつゆずりあうことだとか。

そういう世界には「私が、私が」の小さいエゴよりあの人、この人のためを思って自分の好みや自分だけよかったらいいという満足感は隅においておくほうがいい。

アイデンテティの確立とか、私の世界とか自分にこだわりすぎるより、漠然とこの世に生きているみんなのためにいいことなのか、どうなのかを考え、感じ、行動できるほうが豊かな世界に生きられる気がする。

教授に教わったのは「無境界」という本と「夜と霧」。

「無境界」は人の痛みも自分の痛みのように感じる生き方を考えさせてくれる。

「夜と霧」はアウシュビッツ体験を得て哲学の名著をたくさん出した作者の作品だ。収容所での話を軸にどうして人が他者にここまでひどいことができるのか、人の成り立ち、ありかたについて深く考えさせられる。

歴史上の人物で「どうしてこの人がこんな目に?」というむごいこと(秀吉の甥など)に接するたびに、人は自分のエゴやアイデンテティを脅かす他者にとことん、おろかなむごいことをするものだなと感じる。

かわいそうな目にあった知人のことを思い出す。

かの人がもう少し抜けた顔だったり、見栄えしない人であればこうむらずに済んだであろう、むごい仕打ちの数々。

きっとその人につらく当たった人たちは「憎たらしい」と救いの手を差し伸べなかったように感じる。
エゴとか狭い小さなアイデンテティにこだわるあまり、余人を持って換えがたしの宝のような人材がほら、また、会社から、社会から去っていく。

私も小さな己にこだわらず願わくば広い海原、星をいただく広い空、誰をも照らす太陽に一歩でも近寄りたい。

by yoshi-aki2006 | 2010-10-21 22:57 | 生きる力 | Comments(0)  

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