痛恨の一撃

私の場合、お金の運用は趣味の領域。
株式の専門家としては自分が財テク、株テクに励むより人を儲けさせることに力を注がなくてはならないので、専門家になってからは自分の株テクは控えている。

今、持っているのは投信や覆面取材の意味もあって実験的に購入する新規優待実施企業の株や株主優待が好きな安定的企業の株を少々。

こうしたポジションなので日々、株価があがっても下がっても気にしないで持っていられる。

外貨もしかり。血道をあげての財テクは30歳代前半で基本的に卒業した。

お金の運用はノーポジションにしておけば、よほどのことがない限り大慌てしないで済む。
しかし、植木やペット、人間の健康などライブの現在進行形のものは気が抜けない。

油断していると、枯らしてしまったり、ペットの寿命が近いとわかっていても、「まだ元気だし」と通常の対応で済ましているうちに老衰で死んでしまったりする。

手の中で見取った猫もいるけれど、「ああ、あの時、逝ったんだな」と後からわかって、もっと電気毛布の温度を調節しておいて上げればよかったとか、口元を水で湿してあげればよかったと後悔する。

後で考えればさまざまなサインが出ていたにもかかわらず、植物、動物、人など多様な命のシグナルは読み解く側が油断したり、緊張が持続しなくなった時に、痛恨の一撃みたいな一瞬があり、そのとき、もっとこうしていれば、ああしていればと後日、悔やむことが多い。

会社経営は30年寿命説というのがあるが、企業の起承転結は波に乗れて30年というサイクルがあるようだ。設備投資、耐久消費財買い替え期などのサイクルと企業経営の好不調、経営者や主要社員の気力充実などがサイクル形成の背景には影響していると思う。

人と人との関係はどうだろう?

人と人との関係で何年くらい名コンビが続いたりするのだろう?

親の介護や看病などで何年くらい緊張感が維持できるだろう?

病気や経営などまあ、何とか持つでしょう、と楽観していたときに痛恨の一瞬があり、重篤な事態に陥ることがある。マネー運用と同じだ。

楽観してしまうときというのは「疲れ」て休みたい時のシグナルでもある。

「なんとかなるでしょう」と楽観する気持ちが幸運を運んでくることは確かにあるけれど、
痛恨の一撃を受ける前にきちんと休んで気力充実させておくことが大切だ。

私は仕事でほぼ体力、気力を使いつぶすので、荷物をたくさんもてないと用心して、財テク、株テクは趣味の領域だけのポジションにし、もう二度とペットを看取りたくないのでペットも飼わない。

ポジションは軽く。

さまざまな工夫をしていたとしても油断は生まれる。

人間のそうした間抜けさを知っていなければな、と間抜けなことをたくさんして気がつく次第だ。

ああ、緊張感。

緩んだときに痛恨の一撃。

最近も大きな鉢の気に入っていた植木を枯らしてしまって、つくずく、反省だ・・・。もっと水遣りに気をつけていれば・・・。

タラレバ。

幸運の女神は前髪しかないというが、幸運(日々の運行)は本当に前髪だけ。

あとから、タラレバしてももう戻ってはこない。

by yoshi-aki2006 | 2010-10-25 10:18 | 日々雑感 | Comments(0)  

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