NHK日本人はなぜ戦争に向かって行ったのか?(3)を観て

ながら仕事でNHK「日本人はなぜ戦争に向かって行ったのか」を観ました。
敗戦とともに新聞記者を辞職して故郷で現役のジャーナリストをしている男性の言葉。

「戦争は始めてしまってからああ、こりゃひどい、なんて言っても駄目なんだ。始めないことが大切なんだ。そのためにはアメリカがロシアが中国が何をしているのか、正直に知らなければならない。そんな報道がなければならない」みたいなことをおっしゃっていました。

本当にそうです。

たとえば卑近な例では昨年、日本テクニカルアナリスト協会で会を二分する見解の相違がありましたが、何が起こっているか正しく現実を伝えた報道はどこからも発信されませんでした。だから多くの会員は何が起こったかは正確には知らないと思います。
運営を掌握した側が流す話が偏向しているのはどんな場合でも見られることです。
多くの会員さんは内部でなんかあったんだろうけど詳しくは知らない程度の認識でしょう。

正確な利害関係のない立場の人に報道してもらえなかったのはたった2300人の集団で社会性という点では規模が小さいこと、何万円か、何十万円か払って資格取得をしようとしている人はいい大人なんだから自己責任で判断すべきこと、運営にいかがなものかと意見を表明し、立ち上がった理事の多くは今は評議員の立場に置かれて、会議からは除外されているので協会で何が話し合われているか、全く知らされずわからないこと。

都合の悪い人は情報を出さない。判断材料となることを流さない。証取法のもとで働いていた人にはそれが得策と思えるのかな。今はそういうやり方は金融商品取引法で厳しく禁止されているのですが。

判断材料となる情報を出すか出さないかに関して、やましい人は出さない

それだけは確かです。

協会の件とは別ですが最近、「言ったもん勝ち」な例を体験しました。
その陰でモノ言えず苦しんでいた人のことを日々、悼んでいます。
苦しかったろうな。

事実はいずれ明らかになる。
それを信じているのですけれども。

さて、今日のNHKの番組。太平洋戦争の戦争責任について。新聞がラジオが戦争で販売部数、聴取率が伸び経営が安定したことと報道が無関係ではなかったことは忘れなれないことですね。

事実が明らかになるのにずいぶんと時間がかかり、それが平熱で語られる時代となるのにまた時間を要したわけですけれども、亡くなった命の重みを忘れなければ、いつだって立ち上がって声をあげたり、悼むことはできます。

人として「おかしい」「事実はこうだ」と言えること。そして、そのことにほかの人も共鳴してくださるように。
これから静かに、淡々と、しかし、ちゃんと発言し行動し生きて行かなくてはならないと考えさせられました。

続編をぜひ観たいですね。同じ過ちを犯さないためにも。亡くなった人の無念な気持ちをわがことのように思いながら。

by yoshi-aki2006 | 2011-02-27 22:21 | シンキング | Comments(0)  

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