希望の創り方 序章

人は突然、希望を失うことがありますよね。病気したり自分が老いたり、会社や仕事や人をなくしたりして、非常に空しい気持ちに陥ることがある。

日本が構造的に縮小していくことは経済だけでなく人の気持ちの高揚という点にも影響を与えます。

飲んで騒ぐ人が少なくなって町も静かですし、交通渋滞が都心でもかつてほど見られなくなりました。


するとなんだかしーんとしてきて、絶望というほど強いものではないにしても、虚無ほど黒々としたものではないにしても、静かな空しさに襲われることがありますね。

男性も女性同様、更年期というホルモンのバランスが悪くなる時期があり、そこにデフレ経済の右肩下がりの充実感、高揚感の乏しい状況が意識されたりして空しい気持ちが募り、プツーンときてしまう。女性もヒステリックに怒っているうちはまだしも、そうしたある種、元気な時期を過ぎると後は用心しないとだめですね。

人は生殖年齢を過ぎると自分で希望を見つけ出して行かなければ生きていけない。最近、強くそういうことを意識します。生殖年齢でいる期間は希望が新たな命であり、その誕生を生体が知らず知らずに卵胞ホルモンなどを通じて引き起こそうとしているために気持ちも前向きです。

しかし、それを過ぎるとホントに空しさを感じるようになる。

自分なりの希望を創っていかないとならない年齢。
それが男性も女性もが陥る更年期だと思います。

私なんかも、はて、何の希望を胸に生きていくかと考えます。
もう待っていても希望という名の電車はやってこない。
自分から希望に会いに行かないと。
希望は与えられるものではなく、創りだすもの。
それが成熟した年齢に与えられる課題。
汝、これからの時間をごちそうにするか、空っぽの皿に飢えるか。
自分次第ですねえ。
生きていくのは難しいよ。難しい課題を喜ばしく思える気もしますけれど。

by yoshi-aki2006 | 2011-02-28 01:05 | 生きる力 | Comments(0)  

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