とりかえばや3

とりかえばや、というのはこのブログでご紹介したように本来の意味は男と女を取り替えるという考え方(民話に残された風習 詳細は河合隼雄氏の著書参照)だ。
これによってずいぶん人の見方が変わる。
私は時々、とりかえばやで人や自分を省みる。
人や自分を男なら女に、女なら男に置き換えて、もう一度、その人のあり方を考えてみるのである。今日はとりかえばやの親子版を試しみよう。

「私は料理が嫌い。でも、“てんや”などで一人でご飯を食べるのはわびし過ぎてこれも嫌。だから、月曜日から日曜日まで週七日、毎晩一緒に晩御飯を食べる男性を曜日別に確保したの。これだとおいしいものを人のお金で食べることが出来てお金もお得よ」

もしも、自分の娘がこんなことを言ったら、その母親はどんなふうに感じるだろう?
聞きもしないのに、しらっとこんな発言したのは45歳にも手が届こうという独身女性だ。
あごと鼻、歯を整形してOLからアナウンサーに転身。
顔が大きかったせいかテレビには向かなかったようでラジオが主な職場だった。
現在は専門家としてそこそこ露出している。
ぱっと見は学校の先生風で、私にはこんな私生活を送っている人にはとても見えなかった。
ご本人も外見には気を配っているようで、ちょっともっさりした、そして優しい女性に見えるように戦略的に見え方を演出しているという。

「毎晩違った男と晩御飯を食べるって(それだけじゃすまないでしょう)?」
といぶかしく思って聞くと
「ほんとに好きな人は一人だけ。その他の男性はまあ、適当にってとこかな。でも最近、50歳の彼は嫌になったからもう没ね」
ずいぶん、お盛んなことである。
「でも、男って飲んで勢い余って部屋に押しかけてきたりするでしょう?」
「曜日で管理しているから大丈夫なのよ」
「部屋で鉢合わせになったりしないの?」
「玄関ですれ違ったくらいのことはあるけど、まだ、鉢合わせはないの」
彼女は男性の浮気は不潔で許せないという。自分の不潔は棚に上げてよくいうよ。

一体どんな親に育ったんだろう?   
なんとも薄ら寒いこの女性の発言に対して、すぐに言葉は見つからなかった。
ただ飯が得だという感覚・・・。男はその時々、自分に役立ってくれればいい、という考え方・・・。
高校生の援助交際ってやつにちょっとニュアンスが似てるじゃないか。

自分の娘がもしも、こんなことを言ったら? 親としては寂しい。
いや、あまりの卑しさ、おぞましさに殴ってしまうかもしれない。
「人を愛するには勇気がいる。なぜなら、いつか愛する人を失う恐怖を乗り越えて人を愛するわけだから、人を愛するには、勇気がいるのだよ。そういうことを考えて男と付き合いなさい」
というかしら。
仕事関係の人と平気で交渉を持つことに対して、「仕事に誇りを持ちなさい」とも。
親は娘がキャリア・ウーマンとして見栄えがよいだけで満足なんだろうか? 
親は子供の鏡、子供は親の鏡だ。
とりかえばや思考でいろんな人の親や子供になって、人の生き方をよく考えてみたい。

by yoshi-aki2006 | 2006-04-12 17:25 | 人間考察 | Comments(1)  

Commented by hikosaka at 2006-04-13 12:06 x
ストックウェーザー見ましたよ、株式コラム楽しみにしています。
忙しそうですね。名古屋に来てください。

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