明日のある人

連休の谷間、式典に招かれスピーチを。

取材陣が多数来場していて晴れがましい席だ。
こんな僥倖にあやかれることに心から感謝である。

事前に文言を考えぬいてプリントアウトし、用意万端のコーディネイターのCさんとは違い、
私は赤ペラ。

Cさんとは2年ぶりだ。相変わらずブイブイいわすんだろうなぁ、と思っていたが、出だしは案の定、「変わっていないな、この人」と思わせられる自己宣伝からスタート。公的な式典に何をいいだすんだろうとハラハラしたが、以前と違って、言葉が洗練されている。

2年前は闘争心むき出しで、同性を見る眼が暗く、挨拶もろくに出来ない人だった。
表舞台と楽屋での落差が大きく、内心、「お若いの、顔を洗って出直してきな」と思ったものだ。

しかし、今日はどうだろう。キチンと挨拶はするし、言葉は洗練されているし、すっくとしていてなかなか立派だ。前は暗かった目にも明るい光が宿り、顔全体に「顔光り」がある。

うんうん、なかなか良くなった。いいよ、その調子!
この人なりに課題を消化し、今日の晴れの日を迎えたのだろう。
人のよい姿を拝見させてもらえるのはうれしいことだ。

言葉は人の生きる姿勢、心のありようをかくも如実にあらわすものだ、ということを痛感する。

すし屋や美容院に入ったとき、「いらっしゃいませ!」と大きな声で迎えられると
「また、来よう」と思う。
「おや、客かい」というようなぶすーっとした応対の店には「二度と来てやるもんか」と思う。

みんな、金持ちになろうと思って働いているんだろうに客に「二度と来てやるもんか」と思われちゃあ、明日がない。つまり、いずれ食っていけなくなる。そういうことに人は慢心して気が付かない。

「木村さん、私、こちらでお先に失礼いたします」
以前はこういうことを言わなかったCさんだが、キチンと動作を伴った挨拶をして帰って行く。
「明日のある人」になるために言葉の重要さを知ったのだろう。

やってくる日は全て明るい。その明るさを信じられるような生き方をすることだ。

by yoshi-aki2006 | 2006-05-02 02:19 | 感謝 | Comments(1)  

Commented by hikosaka at 2006-05-02 19:52 x
明日、2泊3日で気導術のセミナー健康の為に夫婦で出かけてきます。何かを習得の為に頑張ってきます。

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