明日のある人
2006年 05月 02日
取材陣が多数来場していて晴れがましい席だ。
こんな僥倖にあやかれることに心から感謝である。
事前に文言を考えぬいてプリントアウトし、用意万端のコーディネイターのCさんとは違い、
私は赤ペラ。
Cさんとは2年ぶりだ。相変わらずブイブイいわすんだろうなぁ、と思っていたが、出だしは案の定、「変わっていないな、この人」と思わせられる自己宣伝からスタート。公的な式典に何をいいだすんだろうとハラハラしたが、以前と違って、言葉が洗練されている。
2年前は闘争心むき出しで、同性を見る眼が暗く、挨拶もろくに出来ない人だった。
表舞台と楽屋での落差が大きく、内心、「お若いの、顔を洗って出直してきな」と思ったものだ。
しかし、今日はどうだろう。キチンと挨拶はするし、言葉は洗練されているし、すっくとしていてなかなか立派だ。前は暗かった目にも明るい光が宿り、顔全体に「顔光り」がある。
うんうん、なかなか良くなった。いいよ、その調子!
この人なりに課題を消化し、今日の晴れの日を迎えたのだろう。
人のよい姿を拝見させてもらえるのはうれしいことだ。
言葉は人の生きる姿勢、心のありようをかくも如実にあらわすものだ、ということを痛感する。
すし屋や美容院に入ったとき、「いらっしゃいませ!」と大きな声で迎えられると
「また、来よう」と思う。
「おや、客かい」というようなぶすーっとした応対の店には「二度と来てやるもんか」と思う。
みんな、金持ちになろうと思って働いているんだろうに客に「二度と来てやるもんか」と思われちゃあ、明日がない。つまり、いずれ食っていけなくなる。そういうことに人は慢心して気が付かない。
「木村さん、私、こちらでお先に失礼いたします」
以前はこういうことを言わなかったCさんだが、キチンと動作を伴った挨拶をして帰って行く。
「明日のある人」になるために言葉の重要さを知ったのだろう。
やってくる日は全て明るい。その明るさを信じられるような生き方をすることだ。
by yoshi-aki2006 | 2006-05-02 02:19 | 感謝 | Comments(1)