土下座を強要する人~遭遇したらどう対応する?

「あまちゃん」の脚本で全国的に支持を得たクドカンこと宮藤勘九郎さんの新作映画「謝罪の王様」が公開されていますね。

宮藤勘九郎さんは土下座など過度な謝罪する人々に違和感を感じて、映画を作ったんですね。謝罪、特に昨今は土下座が社会問題になっていて、逮捕者がでたり、NHK「クローズアップ現代」でも取り上げられました。

クドカンさんの映画や逮捕者が出たことで昨今の土下座を強要する人に一石を投じそうですね。

土下座といえば半沢直樹ドラマのシーンにもありましたが、半沢直樹と大和田常務のケースは対決という構図の中での話で、昨今の消費者と販売員の間の土下座強要とは中身が違います。

さて。

私は土下座するほうもさせるほうにも強い違和感がありますが、こういう風潮が生じるようになった遠因に不祥事企業トップなどの深々とした謝罪会見報道があるように思います。

企業トップらが深々と謝罪する、ああいう報道を映像で見ると、

「大きな会社のトップも形無し」
「あれくらいの謝罪で許されるのか?」

など、何ら利害関係のない人まで、謝罪したほうが格下、観ている自分たちが上から目線というふうになりがち。

企業の謝罪会見ってあんなふうに大々的なショーのように人々の目にやたら触れさせるべきものなのか、今一度、謝罪の在り方をよく考えたほうがいいのではないでしょうか。

世間をお騒がせしたと経営者らが深々謝罪する姿を報道でさらす。
その姿に観ている側は妙な昂揚感を感じてしまう。
その弊害が謝罪を過度に要求する人々を醸成している気がします。

本当に謝罪しなければならないのは株主価値を棄損された人であったり、直接の利用者のお客さんだったりするわけで、それを直接関係のない人にまで見せる必要があるのだろうか?

企業IRの観点からも一考を要することだと思います。
記者会見で情報提供をする必要はあると思いますが、報道されることを目的に深々謝罪姿を乱発するのはいかがなものか?

企業の深々謝罪会見に何か大切なものを手抜きしている気がして「この手ってずるいよなー」とも感じることがあるのです。

「あんだけ謝っているのだから、大目に見てやろうじゃないか」みたいなことを無理繰り、引き出そうとしているように感じてしまうのです。

スピード解決を狙っている印象がぬぐえません。

さて、そうした素地が「不祥事を起こした企業は格下」「消費者は王様」という上下関係を過剰に強化させてしまい、消費者としての主張がいついかなる時でも「認められて当然だ」のような感情を醸成しているのではないでしょうか。

消費者として、「お金を払ったのに、こういうことでは困るよ!」とクレームや怒りを正々堂々と表明することはあっていいと思いますが、土下座させることはないです。

ところで土下座を強要する人ってどんな人? 負け組の下剋上。そんなケースも多いのではないでしょうか?

クレームをつけられた側は誠心誠意、対応することはあっても、土下座は禁じ手です。
相手への正当な対応をしたうえで、
「今回のことを教訓に決して同じ過ちはしません」などのこれからの道筋を示し、実行していく姿こそが謝罪のあるべき姿ではないでしょうか。

以前、デパートで大安売りの目玉のネックレスが朝から並んでいた人らにいきわたらなかったとして納得いかないお客さんがデパート側に抗議。
10時間だったか15時間だったか応接間で担当者をつるし上げる事件がありました。

その時の騒ぎに触れて識者がコラムで「お茶の一杯も出さずに対応した人捌きの下手さ」について半端あきれて書いていらっしゃいました。

怒っている人の怒りを上手にかわすユーモアや気働きがなさすぎというわけです。

当のお客さんは何時間も並んだ挙句、あっという間に売り切れた目玉商品に憤懣やるかたなく、担当者をつるし上げたのだろうと思いますが、10時間15時間も押し問答することを本当に望んでいたのでしょうか。

「こちらで何かご納得いただける方法を協議いたしますので、店内の喫茶店でおくつろぎくださいませ」など、もっと、早く納得してもらう方法がいくらでもあったはずです。

どうして、人の気持ちをくみ取ることができないのだろうな・・・・・とのそのコラムの識者に共感したものでしたが、今の土下座強要の現場にも通じるものがあるような気がします。

フツーの人の皮の下に反社会的な人もびっくりな「俺様何様」な地が隠れていることもあれば、神も天使もいるはずです。

確かに今は以前より優先席にわれ先に座り、ご老体や体の弱っている人に席を譲る気働きのない人たちの数は多く、道に痰を吐き、カートで人をひっかけても知らん顔、電車の中でも周囲の人に気働きすることもなく大音響で鼻をかみ、大きな声で喋り捲る人もいます。誰からも人に対してのマナーを教えてもらわなかった人々。

それをとがめてこなかった社会のツケでもあります。

大勢の人と気持ちよく共存する能力=社会性を謝るほうも意識して磨いていかなくてはなりませんよね。

土下座では何も解決しません。

by yoshi-aki2006 | 2013-10-09 02:06 | ライフスタイル | Comments(0)  

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