外国人観光客爆買いで進む商人道劣化の法則

観光地も都心も外国人買い物客だらけ。

都心繁華街は言うに及ばず、家電量販店、ドラッグストア、果ては私がいつも日常の食材を買うスーパーにもハングル語、中国語、何かわからない外国語が飛び交い、「あら、ワタシ、海外旅行客の時に味わった気分! 人口出現率でいうと周囲4割外国人だ~」ってな感じでちょっと戸惑いを覚えてしまいます。

赤坂などはもっと比率が高く(ホテルが多いので)、通りの半分は外国人かも。

その彼らが40万円とも言われる金額を買い物に使いまくるため、節約志向、デフレ体質、年金不安に縮み上がった日本人相手に気配り、まごころ、配慮、サービスに心を砕いて商売してきた現場に今までとは違う微妙な空気が!

「いちいちセコイ金額の日本人の特に要求が多いエラソーなアラフォー以上の人に頭下げてくどくど説明してまで買ってもらわなくても、ホラ、札束もって何でもそこいらじゅうにあるものをサイクロン掃除機みたいに秒速で爆買いする外国人に売ったほうが話が早いよね」的な横柄、横着な空気が商売人の鼻先にチラホラちらほら匂ってきているような。

はっきり言ってコレは劣化の誘惑です。

今まで心砕いて商売してきたけれど、「わかりゃしないって」といい加減なモノまで売ってしまやしないか?

「どうせなら金使ってくれる人優先」となると平等でないと怒りを感じる人間のホメオステイシスが働いてオリンピックが終わったころには凋落し、劣化した人の退職金はすっかり減価されてしまっているかも。

大和民族の危機かもしれないですね。
人口出現率的には900年後には2人になる計算の大和民族の多国籍民族化の通るべき入口に私たちはいるのか?

そういえば、私の選んだ「海外旅行」がおおいなる勘違いの上に成り立った「商品」と気がつかずにうれしさ満開で初めて海外に出た時のコトを思い出します。
ある国の免税店のレジで並ぶ日本人の多くはつり銭をごまかされても全く気がついていなかった。レジの女性らは「この人達ってホント、バカっ」「まさに買い物アニマルだわ」みたいな侮蔑的な悪態をつきながらレジ作業をしていました。

私が「つり銭が少ないじゃない」と抗議すると「後で」というので「今返してよ」と強く抗議すると、ベーみたいな顔して少しだけつり銭を返しました。「違うでしょ!」とさらに抗議すると、やっとホントの額を返しました。

あの女性も「どうせわかりゃしないって」と思っていたんでしょう。最初はまじめにやっていた。次にちょっとごまかしてみた。全くばれない。で、次にまたやってみた。また、ばれない。で、押し寄せてくる日本人観光客なら騙せる、と思って常態的につり銭ごまかしをやるようになったんだと思います。
働いても働いても自分は安月給。なのにこの爆買い日本人は何? 不平等だわ、というのがつり銭ごまかしの動機にはあるのではないでしょうか。


ある国のブランド店に団体で入ると、販売員の若い女の子たちが目を合わせて「また来たよ。爆買い日本人」「ゲンナリ」みたいな表情でやり取りしていました。私は「何言ってんの、アンタたちのブレッド&バターじゃない」と強く表情で抗議しました。すると彼女たちは「今の私たちの会話、読まれちゃったみたいね」みたいな感じでシオシオと販売シフトに戻りました。


私たちはかつての日本人爆買いとは今は逆の立場で、「あなた、外国人におんなじことしますか?」と現場で問われているのだと思います。

つい最近、ある家電量販店で日本人の買い物客に若い販売員が横着な応対をしているのを目の当たりにしたばかり。
想像するに中国の方たちがすざまじい勢いで買い物をするので、いちいちまともに応対する技術を日常的に磨くモチベーションがぐっと下がっているのだと思いました。

信州大学学長が「信大生やめますか、スマホやめますか」と学生に迫ったという話がありましたが、「商人の品と貧、どっちを取りますか?」 と問われる状況がやってきたと思います。

品は三つの口があらわすように言葉、食、排出の3つの仕組みがその人を構成する要素だということです。
金をむさぼるために言葉巧みに人を操れば、排出するモノがどうなるかは歴史が教えていますよね。

品格のない商売人の道を歩むのか、金を貪りつくす道を選ぶのか。
中途半端にフラフラ行くのか。

観光ビジネスの難しさは支配する側、される側が微妙な点です。行き詰まりを外国人観光客の爆買いで救われているという現実がある。金を使うお客様は神様だみたいな拝金感覚もある。

でも、ここは私たちの国だという気持ちがある。その国に来て、金を持って買い物をしてくれるのはありがたいが、あなた達はあくまで「客」だ、という気持ちがある。「王様じゃないはずだ」という、自分たちが「主(あるじ)」として迎え、観光客は「客」なんだという気持ちがあるから、難しいのです。
向こうは「買ってやっている」「買う主導権はこちらにある」という感覚がある。「金で通れる道を歩いているだけだ」と。

その現場でどうすんの? ということを問われる状況なのですね。


金を貪りバブルがはじけ「清貧の思想」がもてはやされ・・・・・・。そしてまた、株価、土地値が上がり、そういうことにギラギラする人種がうごめき始めています。

人を傷つけても平気。
悲しませても気にしない。
人の痛みがわからない。

金さえ儲かり、ブランドものギラギラさせれば勝っている気持ちになれるのは資本主義の大きな罠です。

人は人生時間の間、自由に時間を使っていいことになっていますが、
人の道に外れることをした後に戻り方を教えてくれるモノは今も昔も売っていないようです。

常に淡々と最善をなすことができますように。自分で自分の心を照らしながら歩いていきたいものですね。

それにしても、この外国人爆買いによって、商人道以外の何か重大なものを見落としている不思議な感じがするのは私だけでしょうか?

by yoshi-aki2006 | 2015-04-16 11:00 | ビジネス | Comments(3)  

Commented by ごま和え at 2015-05-01 19:27 x
類は友を呼ぶ。まさにそうです。バカみたいな大声で喧嘩腰で話す、列ひとつ並べない、トイレもキチンと使えないなどやはりこちらのレベルも下がりがち。リピーター作りを心掛けるキメの細やかさは日本人の美徳、それを忘れて目先の利益にとらわれないか否か、なかなか難しい。

介護のバイトしていたとき利用者さんにビックリするような暴言を笑顔で話す人がいました。職員さんはつねったりしてないかとか疑ってました。こうした暴言吐く人は暴力しても不思議でない。暴言にじっと耐えているお年寄りは気の毒です。ダブルワークしてる、自立している云々と威張ってましたけど結局こんな憂さ晴らしするレベルなんですよね。自分の親をそんな施設に入れたいですか?証拠がないと動きようがありませんからね、でもいつか必ずバレるはず。
Commented by yoshi-aki2006 at 2015-05-05 08:41
ごま和えさま

コメントありがとうございました。

介護の現場のお話に考えさせられました。そんな暴言をお年寄りがじっと耐えている姿を思い、将来、自分がそうされた時、その人はようやく人の心の痛みがわかるのかなと思いました。
この世の中でのことは鏡のように自分に帰ってきます。それは思いがけない時間がかかったりしますが、必ず自分に同じような状況がもたらされると思います。

なので、暴言を吐いて憂さ晴らしをしている人もいつか「情けは人のためならず」ということが分かると思います。

この世だけでなくあの世でも延々と罪は罪として善は善としてつながっていくというのが私の今の人生観です。静かにそういうことをする職員の存在を遠くから見詰めていたいと思います。
ごま和えさんと同じように「いつか必ずばれる」と信じています。
Commented at 2015-05-13 15:18 x
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