プチ王・女王様症候群 1

本番直前。
ラジオのパーソナリティを務めていたとき、ゲストがスタジオに入られるとまず、司会進行役のアナと私はゲストのかたに「どうぞ、お好きなようにお話しください。時間管理は私たちでしますから。時間がない時は進行役アナの顔を見れば分ります。大丈夫ですよ」とご挨拶かたがたそう声をかけた。

ゲストは愛想よくしてくださる。でも、緊張はなさっている。
何しろ慣れないスタジオ。
とちったらどうしょう? 自分の看板に傷がつく。
想定リスナーの顔も見えない。
時間管理も他人が掌握していて分らない。
不安だらけなはずだ。

リラックスしてもらえるよう、務めることが先決。私はいつもそう考えた。

「木村さんはすごいなあ。時間ビーッたしにまとめあげる!」
本番が終わると、ゲストの皆さんはほっとなさるのだろう。そうやって過剰にヨイショしてくださって「大きなミスがなくてほっとしたよ」という感じで帰っていかれる。
お帰りの際はエレベーターが閉まるまで、最敬礼してお見送りする。

(ちなみにもっとよく行き届いた人は階下の局の玄関でゲストが送迎車に乗り込むまで見送る。人気モノでミスらしいミスがなく非常に優秀で才色兼備なパーソナリティの例)

が。こういうスムースな現場ばかりではない。
「そんな話は聞いていない!」
既に本番を迎えるばかりとなっている現場控え室で、たいした問題でもないのに台本にワーッとつっこんでくる人もいる。 

本番前パニック症候群。根底には生育歴から生じるストレスを抱えているのだろう。
画面に映りこんだ自分と他の出演者が比較されることがたまらなく不快。絶対、自分が優位に立たなくてはアイデンテティが保てない。
だから本番前に先制パンチでワーッとほえまくる!
こういう出演者と激突し、本番で青い火花を散らすのは損だ。


私はそういう場面に遭遇したときは「そうそう、貴方が世界一!」と心から賛辞を送って、視聴者に届く言葉が言えるよう協力してくれる味方になってもらえないものかと期待する。

青い時代ならともかく、今は院政のほうが合うシニア世代の一員だ。

昭和元禄はサラリーマンや公務員などのいわば中間管理職に資産効果が集中した。
そうしたサラリーマン&公務員資産家の子息が今、王様、女王様として仕事現場に君臨ましましているケースが多い。
彼らの親の中にはもちろん、世が世であれば中間管理職にとどまらず、もっと高いポジションで仕事ができた優秀な人もいる。
が、その中には「仮面下僕=地動説でプチ成功者になってしまった自信のない王様」もいる。
そして、地位が低いときは「自分は下僕である」とへいこらしているのに、「長」とか「先生」などの肩書きがつくと急に尊大になる始末の悪い人が混ざっている。
こうした大人は「自分は本当はたいしたことがない」という自己不信を抱えているため、常に補強材料として見栄えのよいものに飛びつく傾向を持つ。
だから、自分の子供には過剰な期待をかけ「ブランド化」を迫るケースが多い。
件の放火事件の医者の息子のように、親が期待する立派な存在として、親を満足させ続けなければならない理不尽なストレス状態に置かれる子もいる。

そんな子たちは自己肯定=親が決めること、という構図の中でもがいている。

究極的には育ちの悪い親であり、その子であり、二代続きで何がいいことで悪いことなのか、していいことと悪いことの区別がつかない。
もちろん、「情」とか「機微」など高度な情報解析は彼らにとって錯乱の元となる悪しきことだし、行儀、理、因果律などもかれらにとってはかかわるだけ損な領域なのだ。

そういう人が権利行使できるポジションにつくと「公益」ならぬ「私益」をむさぼるたちの悪いミニ信長様のようになってしまう。

ただ、こうした「われは私益の神なり」のミニ信長さまタイプはだいたい仕事寿命が短命だ。
生き延びたとしてもどこかで「本能寺の変」のような目にあって足元をすくわれる。


こうしたミニ信長様・群雄割拠の時代には秀吉のような知力があれば、生き延びられる。

もっとも!
秀吉はあの時代の女王様、お市の方には振られ、淀君には振り回されていたようだが。

by yoshi-aki2006 | 2006-07-03 07:19 | 人間考察 | Comments(0)  

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