三浦春馬さんのいない世界がなぜこんなに辛いか

三浦春馬さんが亡くなって約二か月がたちます。
私は三浦春馬さんの熱烈なファンではなかったけれど、好感をもって彼の活動を見ていた一般人という立場でした。

大河「景虎」の時の悲劇の役どころでありながら柔らかく温かい日差しのような笑顔を見て、「いい役者さんだな」と思ったり、
NHK「世界はほしいモノであふれてる」の時は、繊細なしぐさ、気配りにあふれたコメント、端正な顔立ちに素敵だな、と思ったり、きれいな人だなと感心したり。どこか嫌いなところを探してみるのだけれど、それが見当たらない美しい人だと感じました。
テレビはみんな映し出してしまうものです。
えぐい人はどんなに隠してもえぐさが出るし、
生活が荒れている人はそれも出る。
がめつさ、こすさ、すれっからし度、異性へのだらしなさ。
カメレオンぶり。
そういうものを大なり小なり、視聴者はかぎ分けて、出演者を値踏みする。
でも三浦春馬さんにはそうしたものが感じられなくて、いつもすがすがしく好印象だった。

そんな三浦春馬さんが亡くなったと報道で知り、その亡くなり方を知って、
とてつもない大きなロスを感じました。

全くの他人の死がここまでガクッと自分の深いところに響いたのは初めてのことではないかと思います。
中村勘三郎さんが亡くなった時もものすごい喪失感を味わいましたが、闘病生活が長かったからファンとしての心の準備というか、覚悟が次第次第に醸成されていました。

しかし、三浦春馬さんの場合は突然だったので、まず、「えっ?」と思いましたし、「何があったんだ?」と思いました。
そして、いろいろなメディアの記事を読むことになりました。
文春や新潮の記事では
「親問題」が取り上げられていて、
最初は気の毒だったんだな・・・・と思いました。苦労した人だったんだなあ、と。
でも、ぐれずに、誠実に働いて、親に仕送りしていたという。
けなげな人だったんだなと思いました。

人に気配りできる人だということはいろんな動画を見て感じました。それはすなわち、彼の周りには反面教師がたくさんいて、それを三浦春馬さんは「自分はこういうことは他人にしない」と決めていたのではないかと想像しました。

しばらくして、「大の大人が、あれだけ食べるものに気を付け、食べる順番にまでこだわり、体を鍛え、馬にも乗れて、殺陣も志願して習い、ダンス、歌、お芝居、英会話まで熱心に将来の自分のために備えていた三浦さんが親のことぐらいで死ぬかな」と思いました。

それに書かれている程度の親なら、大なり小なり、出世した子供の親に見受けられるので、大した問題ではない、と思うようになりました。

そして、「ならばなぜ、日記を遺書と言ったり、親問題で悩んでいた、とか、“死にたいという記述があり、悩んでいた”みたいなことがパラパラ、パラパラと流れてくるのか」という点に疑問を感じるようになりました。

そこで、三浦春馬さんに何が起こっていたのかを知るために情報を整理してみました。そして作成したのが
https://www.youtube.com/watch?v=S-_dxFOlT1k
この動画です(こちらは後半です)

いろんな説が出ているけれど、
いろんな見方があるだろうけど、

私が思うのはくたびれ果てて、もう最後は何が何だか分からなくなってしまったんだと思います。
一度、経験したらわかると思いますが、
人前に出て60分なにがしかの講演をする程度の私でさえ、終わった後は一滴も水分が出ないほど、すべてが放出された感があり、かなり消耗しています。
ましてやアクション、歌、ミュージカルなどはとんでもないエネルギーを要するでしょう。
体より頭脳回路が疲れるのです。
体より頭が疲れるものです。
脳疲労です。

三浦春馬さんはドラマ、舞台、外国人や小さな子供たちとの共演、番組や映画宣伝、歌のレコーディング、ミキシング、イメージ画像、プロモーションビデオなど休む間もなく対応し続けていました。場面場面で何が求められているか察知し、相応の対応をしなければならない。脳がとてつもなく疲れていたと思います。

しかも、私的時間にもインスタなどでプロモーションになればということでしょう、情報発信をしていたわけです。


彼の周りにはお世話係としてどれだけの人がついていたのだろうか?
おそらく身の回りのこまごました世話をしたり、心を休められるように盾になってくれる人だったり、スケジュール全体を見まわして、「心身をここで休めよう」とグランドデザインを立ててくれる人はいなかったんだろうなと想像します。

送り迎えや営業や仕事の段取りはしてもらえても、彼を本当にケアしてくれる人はいなかったのでしょう。


人と接する時間があれば彼のような人は気を使ってしまうので、できるだけ人前から隠してあげることも必要でした。

でも、台湾だろうか、アジアに行ったときの空港での春馬さんを見てもわかるようにひたすら、サービスに努め、さらされていました。人気稼業であるから仕方がない面はあるにしても、大変だったろうなと思います。

また、歌の録音の時も早朝、プロモーションビデオも過酷なスケジュールでなされていました。
一番、つらかったろうなと思うのは2019年のキンキブーツ再演の時でした。
体を作る時間がなかったのは筋肉のつき方で明々白々でしたが気配り人間の春馬さんは
前回は満を持して体を大きく作れたが、今回は時間がなかったことを「曲線を意識した」と言い換えて、事務所のスケジューリングのせいにならないように配慮した発言をしていました。
その年早々には激やせが必要な舞台、一転、キンキーブーツで肉を付けなければならない。

その調整は大変だったろうと思います。

三浦春馬さんが亡くなったことがどうしてこんなにつらく無念でならないのかの答えは
「こんなに前向きにひたむきに懸命に努力している人が休むためにはこうするしかなかった」ところまで追い込まれてしまったビジネスの現場についてです。

どうしてもっと人間として、気を配ってあげられないんだろう。
「春馬くん、ちょっと痩せているよね。休ませようよ」と言ってくれる人はいなかったのか?
「こんな仕事が来ているよ。受けないとほかのやつがやっちゃうよ。君の将来を考えるとやっておくほうがいいんじゃないの?」と言ってくれる人はいても
「休めよ。仕事はいつでもあるから。君なら、いつでも使いたい人はいるから」
と言ってくれる人はいなかったのか。

大切に育てれば世界に通用する不動の地位を確立できたアーテイストなのに。大きな視点で育てれば大輪の花がいくつも咲いたし、大きな花火が何発も打てたのに、どうしてここまで無茶苦茶に使い倒したんだろう? 

春馬くんの「一生懸命」の部分だけ見ていたビジネスマンたち。春馬ならやってくれるよ、と。

じゃあ、あなたが朝から晩まで声の限りに、体が粉々になるまで歌って踊ってみなよ、きれいな顔、きれいな体を維持しながら。

誰もがなしえない過酷な現場を3年も務めさせ、ズタボロにしたんだろうが。それがわからないビジネスマンの質が世間から問われていると思う。


前述の台湾遠征だったのかなの続きですが、20歳ちょっと過ぎたころの春馬くんが空港に降り立った時、フアン、メディアで騒然としていた動画がありました。春馬くんは誠実に現場で対応していました。
とても神妙な表情をしていたのが印象的でした。
彼は「こんなに大勢のフアンが空港を埋め尽くしている。会社には感謝してもしきれない」と思っていたと思います。
だから過酷な現場にも耐えていたんだろうと思います。

あんなに仕事して前向きに頑張っていた春馬さんがついに休むためにはこうするしかない、ちょっと休ましてくださいと私はもうろうとしながらそうしてしまったんだろうと思っています。

そうしなければならなかった無念さ。無残さ。
それが本当に辛くて残念でなりません。

人の死が
親戚でも血縁でもない人の死がこれほど寂しく辛く無念だったことはありません。

だから、今も「春馬くん、伝わってくるよ。あなたが誠心誠意、頑張っていた姿から、一生懸命、よりよく生きようと努力していたことが伝わってくるよ」とつぶやいて、立派に生きていた春馬くんの姿を胸に毎日
祈っています。

三浦春馬さんのいない世界はあまりにも寂しい。そして辛い。





by yoshi-aki2006 | 2020-09-08 20:04 | シンキング | Comments(6)  

Commented at 2020-09-09 12:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yoshi-aki2006 at 2020-09-09 15:51
コメントありがとうございます。
彼はもっともっと活躍したかったろうと思います。
なんでも真剣にまじめに取り組んでお客さんに対してエンターテイメントとして誠実にパフォーマンスしようとして体ごと溶けてしまったんだな、と思います。その誠実さがこのような形で絶たれたことが辛いですね。でも、懸命に務めていた彼をたたえたいと思います。読んでくださり、感謝です。三浦春馬さん、永久に!
Commented at 2020-10-07 20:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yoshi-aki2006 at 2020-10-12 05:19
コメントありがとうございます。
春馬さんのカネ恋も終わりました。あの激やせぶりをどうして周囲の人は「あれっ?」と思わなかったんでしょうか? 特にマネジメント側には「どうした? 何が起こっている?」という視点が必要でした。知り合いにも同じように亡くなった人がいましたが、最後はやはりすごく痩せていました。悩んでいたというか、鬱になってしまうほど過酷な日々だったんだろうな、と思います。覆水盆に返らず。今は春馬さんが過酷な日々から解放されたことを想いたいですね。
Commented at 2020-11-04 08:43 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by いなほ at 2021-08-07 08:34 x
まさにこの考察が真実に近いように思えます。私もメンタルヘルスに関する学びをしていますが、マネジメントに落ち度があると思います。本人が頑張ると言ってるから大丈夫ではマネジメントとは言えません。そこをわかっていない方々がこの業界に多いのだとしたら、教育が必要ですよね。扱っている商品は生身の人間です。その理解が乏しすぎると思います。彼の優しさと真面目さにあぐらをかいた方々がいたという現実。直視し変えていかなければいけないですね。

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