乖離

価格変化の激しい株式などを研究する場合、テクニカル分析の一環で乖離に注目し、投資タイミングの参考にする。

この考え方は人間の感情にも使えるのではないかと思う。
私の飲み友達のHさんはいつも的確に物事を判断する。
写真を見せると、もっともポイントとなる言葉をパッというし、
小話をすると、「その人、田舎紳士だろ」とか「その人、たぶん学校はこうこうでロレックスとベンツにこだわる人だろ」とか、鋭い洞察力を見せる。
一を聞いて十を知るというのはこういうことか、というよいお手本でいつも感心する。

私はこういう人を何人か知っている。
いや、業績をあげている会社のそれなりの役職についているような人や競争の激しいフリーランサーとして10年、20年、いや30年とやってきて、地歩を築いているような人はみんな鋭く物事を的確に分析する能力を有しているというべきだろう。

みんな、ちやんと知っている。
誰がどういう人で事実はこうだ、ということを。
ただ、欲望や劣等感やトラウマやいろいろな個別の要因でまともな人もそうでない人もあるところで思わず知らずパッと現実から遊離する。それが乖離である。そして、乖離はどこかで収斂する。

収斂の形は挫折であったり、悟りであったりはするのだろうが、ある時期、ある部分で乖離から回帰し、また日々をつつがなく暮らしていく。そしてまた、自分の抱える要因(業)に思わず知らず乖離し、挫折したり悟ったりを繰り返す。

常に乖離しっぱなしという人はボーダレスかもしくは、異常な基礎値の人なのだろうと思う。
乖離の対極にあるもの。それが世間というか、世間知というか、マスの智である。マスの智が常によいものかどうかは一概にはいえない。概念的過ぎて陳腐化していることも多々ある。しかし、侮ることはできない。それが私たちが生きている土壌であることは紛れもない事実なのだから。

株もマスの智と乖離の間をあるときはピンポン球のように、ある時は放物線を描いて飛んでいくボールのように飛翔する。
勉強会で教えてくださった講師の話が約2ヶ月たって発酵して体の中で一本の線になったような気がする。これを新しい講演のテーマにして名古屋(12月9日)、大阪(12月13日)に持っていこうと思う。

by yoshi-aki2006 | 2006-12-01 11:32 | 人間考察 | Comments(0)  

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