「泣き」考
2007年 05月 24日
多分、治療薬のせいで感情が平板になっているからだ。
しかし、もともとの私は感情が激しく、特に悔し泣きが多い。
余りに情けない言葉を聞くと本当に泣ける。
「この馬鹿野郎! 」とワナワナ怒っているうちに「こんな馬鹿のために私は命を削って粉骨砕身やってきたのか」と思うともうだめだ。
女子と小人養いがたしというが、そういう言葉を吐く輩はいる。
本当にくっだらないことをいう人は女にも男にもいるのだ。
こっちが必死でこらえて辛い現場を務めているのに、そういう現場の苦しみも知らず、悪徳お代官のような担当やら周辺のトウヘンボクが「馬鹿野郎」なことを平気でいう。
そういう時、心から情けなくて泣くことが数年に一度はある。
最終泣きはいつだったかな?
数年前だったと思う。
よくがんばっている女性課長だった。
ところが失恋して仕事がめちゃくちゃになっていた。大事な取引先の仕事もおざなり。
打ち合わせの席で、その情けない心根とあまりな有様に、
残念でたまらなくなり、ワナワナと来て、泣けてしまった。
「しっかりせいよー、いい年した大人が」と。
が、これは小泣きだ。では最終号泣はいつだったか。
バブル崩壊の時だったなあ。親兄弟との行き違い、一人問題の処理をしながら、誰も理解者がいない中、始まった主婦としての日々。山のような家事、そして津波のように押し寄せてくる仕事との格闘。厳しいマーケット。守るべき投資家の苦しみ。無力な自分。待ったなしの月次会計と資金繰り。辛い放送現場・・・。ストレスからくる不整脈。耳鳴りめまい・・・。
私が気丈夫なことにみんなおんぶにだっこだ。
一体私は何時休めるんだ? 誰が理解してくれるんだ? そして、誰に慰められるんだよ?
気がついたら、真昼間、号泣していることがあった。
あの時の辛さを覚えているから、号泣する人の心中はよく分る。
人が辛いとき、「分ってあげる」。共感する。あなたはよくやっていると認めてあげる。
私のそのときには猫がじっと寄り添っていてくれた。そういうもので人の気持は救われるのだと思い返す。
by yoshi-aki2006 | 2007-05-24 00:35 | シンキング | Comments(0)