理想の人 

人は「幻想」に恋をする。
あるいは「人」が持つ多面性の中の自分に都合のよい部分に反応する。

人を丸ごと受け入れ愛する器量を持ち合わせた人はそうそういるもんじゃない。
ほとんどが自己愛の補強に都合よく見つけた相手の一部分を愛するのである。

猫はノミや回虫がわいたり、毛玉を吐いたり、毛を飛び散らしたりする。屎尿は臭いし糞の始末も大変だ。

しかし、挙動がキュートでその可愛さは人の心を癒してもくれる。

その猫のような小さきもの、人間の寿命の何分の一かしか生きない動物ですら、丸ごと受け入れられる人は少ない。

ましてや人間をそのまま受け入れるのはかなり難しいだろう。

恋と愛とは別物である。
嫌なところもよいところも強いところも弱いところも、醜い部分もキレイな部分もみんな受け入れる。そして見返りを求めない。

それが愛とするならば恋はそんな風には行かない。

理想の人をいつまでも追い求め、現実の人間が理想からちょっとでも逸脱すると受け入れられないのは幼くて愛を知らず、というヤツかもしれない。

by yoshi-aki2006 | 2007-06-26 07:21 | シンキング | Comments(0)  

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