生物的年齢から消費生活者としての年齢選択時代へ


あるお店にアベックが入ってきた。一人は松坂みたいなマッチョ系かわいい男性。もう一人は鼻筋の通ったスレンダーな美女。二人は店の入り口にあるソファーに座る。その際の挙動で、ハッとした。スレンダーな美女と見えたその女性、実は×××ちゃんだ!

オンナはどんなにミニスカートをはいていても、ソファーに座るとき、股間を押さえるようには絶対座らない。それで気が付いたわけだ。

別の日。電車に乗った。私はドア付近に立ち、ドア外に映る風景を楽しんでいた。と、ふとガラスに映った背後の女性の視線に気が付く。私の後姿をものすごい嫉妬光線で見ているではないか。
「何でそんな目で見ているのだろう?????」
気が付かれない様にそっとガラスに映った彼女を観察する。
二人ともおなじような黒のシースルーなジャケットを着ている。それが気に喰わないのだろうか?
そんなことを考えながら、降りる駅が近ずいて来たのでクルッと体を返すと、
彼女もプイッと背中を向ける。
背後から観察していて、ハッとした。あのあごのライン。絶対、男だ!

前述のスレンダーさんといい、このシースルーさんといい、最近、女装した男性を非常によく目撃する。

かと思えば、明らかに孫がいてもおかしくないような年齢の女性が茶髪にして前髪をたらし、テーィーンエージャー風のいでたちで歩いているのとすれ違う。また、同じかぶるなら、つむじの位置をちゃんと合わせたら?とバレバレな派手な茶髪鬘のシニア男性を目撃したりする。

こうした人々の出現率は日常茶飯で、このことから私は、生物的年齢による「らしく」「らしさ」より人々はいくつでも自由自在に自分の好きな年齢、ジェンダーを選択して、消費生活を楽しむ時代に入ってきているのだな、と感じる。


人は皆、大なり小なり年齢錯誤をしている。

例えば子供を産む年齢。
昔は24歳が適齢期。
少子高齢化が深刻になってから、もう声高には言わなくなった「まる高出産」。
しかし、45歳ともなるともはや、子供をはじめて生むにはかなり遅いといわざるを得ない。
なのに、「65歳で生んだ女性がいるし」と。
そんな話を医師にすると医学に携わる人は生物的限界年齢をよくご存知なだけに、あまりな「錯誤」には、
「えっ? マジっすか?」
と驚愕の色を隠さない。

生物としての紛れもない年齢。バイヤスのかかった自分の想定年齢。
消費生活者として選び取る自分勝手な勝手年齢。

認知症をわずらう人には自分の名前も年齢も忘れてしまってわからなくなる人がいるという。
認知症でなくたって、自分の生物的年齢が実感できなくなっている人はたくさんいるんだって。
ほら、街なかに、今日も、たくさん。
本人が楽しければいいのかな。
自分も錯誤している一人としたら、周囲にあまり寒い思いをさせないようにしたいと思うのだけど。

by yoshi-aki2006 | 2007-07-10 17:41 | 人間考察 | Comments(2)  

Commented at 2007-07-10 23:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yoshi-aki2006 at 2007-07-11 14:37
そうですか。それは大変でございますね。お気をつけて。

<< 生命は固体に宿る 擬似閉経作戦 失敗の巻 >>