恋の賞味期限

ある人の恋の顛末を聞いた。
時々、その人とは会う機会があり、オノロケも結構聞かされていた。
が、あるとき、ふっと「あら? 恋人にずいぶん、醒めているなあ」と感じた。
何度かそんんな気がすることがあった。

そして、「もういいんです。その人のことは・・・・」という状況となったわけだ。
だったら、キッパリ別れればいいのに?
何ゆえ、引っ張ってんだか?

そこが恋の難しいところだが、それはさておき、恋の賞味期限は
恋人が自分に会って嬉しがっている様子が嬉しい時期ではないのだろうか。

もしも、その状態から醒めると、どうなるか?
相手のお喜び度にしらける
相手のお喜び度がうざったい
いつまで自分と会って喜んでいるのだろう? いい加減にして欲しいと思う。

すると相手は
相手のしらけが許せない
相手のうざったがりが憎くなる
いつ迄、喜んでいるんだ、このバカ状態を受け入れられない

これでもめていくわけだ。

が、それでも引っ張るというのは、自分の影響力を見ていたい病気なんだと思う。

ホントに醒めてしまうと、目の前にいるこの人は誰?状態になるかもしれない。
そうなってフェィドアウトしていくにはかなりの時間がかかる。

結婚式では神の前で誓い合う。
汝は連れ合いの健やかなる時も病める時も哀しいときも嬉しいときもそばにいてともにそれを分かち合えるか、イエスと。

自分と会って喜んでもいない相手、そしてそのことに痛みを感じなくなった自分であるなら、もはや道行く他人レベル。

「はあ・・・」といいつつ、火中の栗を拾いたいのはチューブの隅っこに残ってる「情熱」っていうか、「自己愛」っていうか、の仕業かもしれない。

by yoshi-aki2006 | 2007-09-11 11:56 | シンキング | Comments(0)  

<< 常識を磨く 任気がある人々、ない人々 >>