アニマ アニムス

どうしてこの男性が好きなんだろう?
どうして彼女が好きなんだろう?

誰にも好き嫌いがあります。

どうして彼のこと、彼女のことが嫌いなんだろう?

ミセス・Aさんを見ていて、「ああ、私はこういう人生は送りたくないな」と思う。
「本当はこんなことしたくない。嫌なんだけど、でも、しょうがないの」
ミセス・Aさんの口癖はそういうこと。

彼女の生きた時代は嫌なことをガマンしなくてはならない時代だった。
嫌なのにお見合いで結婚したり、嫌なのにその人の子供を産んで、嫌なのに嫌な旦那のご飯を作り・・・・。それもこれも「仕方がない」とあきらめて。子供ができたら「子供のため」とまた、あきらめて。

子供たちにとっては、ミセス・Aさんは「嫌なお父さんのために耐え忍び、子供たちを育てた聖母マリア」。
しかし、その息子、娘は果たしてどんな人生観を異性感を持つのだろうか?

が、しかし。夫はしてくれなくても息子や娘は母の日に花をくれ、温泉も連れて行ってくれる。

リリーフランキーの映画のポスターに目が留まる。樹木さんの手を引く息子役のフランキーさん。彼女演じる母親を通して、「ああ、こんないい息子を産んでよかったね」と彼女の幸せを思う。

が、しかし。どんなに母親として幸せでも、女性として幸せにならないと子供は不幸だ。

自分の中のアニマ アニムスが確立されていないと人と出会い、人と愛し合う事はできない。
私が男ならこういう男よ。
私が女ならこういう女よ。
両性バランスが取れてはじめて人として人と出会えるんだと思う。

ミセス・Aさんの「嫌だけどガマンして」状態では、アニマ も アニムスも確立されておらず、「聖母像」に隠れて時間が止まってしまっているかのようだ。

アニマ アニムスが確立されて出会えた異性と愛し合えたとき、今、ここで死んでもよいときっと思える。
読まれ続ける「100万回生きた猫」が伝えているのはそういうことだ。

私は自分の中の「佳夫のような男」を愛し、その「佳夫のような男」が愛するアニマに自分の本来の女性性を見出し、快を感じる。

ミセス・Aさん、今からでも遅くない。
いざ、本当に好きな異性との出会いを求めて、いでよ! 人の大海原に。

by yoshi-aki2006 | 2007-10-23 10:27 | 人間考察 | Comments(0)  

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