和泉さんの~Message~から学んだこと

世の中には「あんな人になりたくない」という自分にとっての見本がある。
例えば、通勤電車で化粧する人。

私は通勤電車で化粧する人を見るのが無性に辛い。
それは彼女が自分の周囲の人を感情を持たない壁のように扱うからだ。そう扱われる人の苦痛に思いを持たない。通勤電車の化粧女はそのことを態度で示している。
彼女たちは
「あんたにどう見られようと私は構わない。目当ての人にさえちゃんと見られればいい」。
だから、電車の中の他人なんかどうでもいい。

そのように思っている人だ。

目的地に化粧したきれいな顔で到着できれば。
目当ての人や場所できれいであれば。
電車の見知らぬ他人は私には何のかかわりもない。
だから、途中経過のどんな姿を見せても構わない。

そのように振舞っている人だ。

こうした電車化粧女と似ていると感じる人がいる。
×さんはある人が肩書きとして使いはじめたオリジナルな呼称をマネして使い始め、現在もその肩書きで仕事を得ている。大勢いる同業者の中から体裁よく目立つため?
肩書きをマネされた元祖の人が「オリジナルな肩書きをまねられ、弟子でもないのに私の弟子だと思われているようだ」と困惑していたので、×さんに、「困っていたよ。きちんと挨拶したほうがいいよ」と注意したことがあった。すると、無断で人の造語を使用している立場であるにもかかわらず「尊敬している人の肩書をマネして使っているのに、文句をいうその人に幻滅した。了見が狭い」と激昂した。

彼女は「保険の仕事は保険見直しで一巡した。もう保険関係の仕事はなくなる」と危機意識を強め、いきなり、私の仕事の領域である株式分野に首を突っ込んできた。
保険の仕事が減るから株に乗り換えって何?
命をかけて株式評論をしている私は頭から湯気が立ち上るほど腹がたった。株式評論は人の資産増減にダイレクトに響くものすごく責任の重い仕事だ。よかったか悪かったか、結果の判明がゆっくりな保険領域で仕事をしている人が安易に何をいう?
憤りと同時に「この人は他者の気持ちなどどうでもいい人なんだな」と感じた。
彼女の講演レジュメに私は無断引用をたくさん見つけた。「自信のなさ」から「体裁のよさ」を求めるのだろうか。私の講演で使っていたものや、退職後の時間を試算した他のFPの独自な見解、第一線でコンサルをしている人のもの。
その寄せ集めの資料で講演資料を作って稼ぐひどさを指摘しても「何が問われているか?」よく理解していないようだった。
また、その人は「私が港区の徒歩二分のマンションに住み、曜日で複数の男性を管理し、六歳年下の男性と同棲し、婚約者が北京にいて、経済雑誌の編集長とも付き合い、その他、自分を支援する複数の男性を確保し、結婚願望がなく、お金もあり、男たちが付き合うのに最高だと言っていることがうらやましいんだろう」と言い返した。「マンションの玄関で男同士がすれ違うニアミスはあっても部屋ではち合わせたことはない」と自慢までした。
私は生涯この男を愛し抜くというスタンスであればそれが不倫でも美しいと思う。そんな女性なら尊敬をする。しかし、彼女は何だろう? 不実を悲しむ恋人を持たない不幸を憐れんでやるべきか?
抑えがたい感情から、女としてゲスであると強い言葉で注意した。すると「ヒトには多様な生き方がある」という。多様というと聞こえはいいが、彼女のしていることは女としても人間としても魂がどうかしているとしか思えない。私はその人の言葉があまりに辛くて何年も悩んだ。こんな考えの人が世の中で仕事を得ているなんてショックだった。

しかし、本人が口にした私生活のことは置いておこう。

ここでは仕事への姿勢だ。人のオリジナルを無断使用すると人に不快感を与えるよとその人は何度か耳にしたはずなのに、10年以上たつ今も、相変わらずのようだ。

行列のできる法律相談所というテレビ番組がブレイクすると
すぐ平気で「行列のできるなんとかかんとか」と自分の講演タイトルに使う。
月刊誌で「投信選びの最新セオリー」という特集があるとすぐそのタイトルで講演をする。
日経オンラインで「プラチナ コンセルジュ」というリレーコラムの執筆者になるとすぐそのタイトルもいただいてしまう。いったいこの節操のなさはなんなんだ? 次々とパクれるこの精神は何? 恥ずかしくないの?
盗ったもん勝ち?
そうした文言を考案したコピーライター、クリエイターに敬意を表さないの?
創った人は「あ! 自分が生み出したコピーを他者が無断で使っている!」と気が付く。
けして「よく使ってくれました」と愉快に思う人ばかりではない。
しかし、この人は人の気持ちなんかどうでもいいんだ?

×さんは雑誌コラムに私に注意されたことをあてこすって「専門性もないくせに偉そうに(株を)語るなと言われた。見返してやるために自分は大学院に進学し、ファイナンスを勉強している。そして、いつか、どうよ、私はダイヤモンドのように傷つかないと証明してやる」と書いていた。つまり、大学院で知識を獲得したら、何を語ろうと文句はないだろう、というわけだ。わかってないなあ、相変わらず。株に口を出したいのであれば、先人に敬意を表するやり方があるだろう。そういう作法を他者への配慮をしないからトラブルんだよ。
マネばかりしていた会社は社名を捨てて再生の道を選ばなければならなくなったし、先進国のブランドのマネばかりしていた某国はその怪しさが露呈して、目下、世界的に不信を囲っている。マネはクリエイトとは違う。そのことの意味を何年もかかって彼女はいずれ知ることになるだろう。

彼女は私とけんかしてこじれたとか、いじめられているから支援してほしいなどと知人たちに協力を要請しているらしい。たしかに彼女の知人は10年以上も前から2ちゃんねるでさんざん書きまくっていた女性ライターだし、今もそのライターが担当するページで定番のようにその人はコメントをしている。支援友達というわけか。

私はその人とケンカしたわけではない。あまりの嫌悪感からその存在自体がものすごく辛いだけだ。「その人の講演でよくあなたの名前を言っていたからすごく仲がいいのかと思っていた」という人がいるが、勝手に名前を使われて迷惑こそすれ、仲がよかったわけではない。どんな人かな、と話してみたら、仰天するような話をされてショックを受けたというのが近いと思う。

しかし、一点、彼女に同情するとすれば、彼女と私をケンカさせたい人がいて、その人物がトリガーを引いたことで梃子の原理で彼女がワーッとなって私の家に真夜中に電話をすることになったことだ。その人物はかねがね彼女の私生活を他者に明かしていた。つまり批判めいた気持ちを持っていて、それを直接自分の口からはいえなかったんだろう。その女性ライターに火をつけられて、ケンカ腰の電話を私の家に真夜中にかけてきたのだと思う。
その女性ライターは彼女のことをやっかんでいた。そして私のこともやっかんでいた。
2人のやっかみの対象をケンカさせて、お互いに悪口を言い合わせれば両方の目障りな人物を減退させることができる。そう考えて彼女を焚きつけたことは承知している。

しかし、そういう人と友達でいられる彼女にも問題はあるのではないか。また、平気で人の肩書やレジュメ資料、有名な人聞きのよいタイトルを無断使用し、売れている人のビジネスモデルに心や魂もないまま型からまねして体裁を繕い、その浅ましさを注意されると「見返すためにファイナンスMBAをとってやる」と反応するその人間性がただ辛い。
マネして恥じない。マネされた人の感情に配慮しない。
そうまでして一体、この人は誰に対して体裁を繕っているのだろう?

同じ女性としてあまりの行状にショックを受け、私が命をかけて努力している仕事の聖域を土足で汚されたことなど、その人がらみのことで苦しみ抜いたこの数年、私はこの人から3つ学ぶことがあった。

ひとつは他人の領域を仁義なく犯すということはどういう感情を相手にもたらすか、分かってもらいたいと思い、私はこの人の領域に足を踏み入れてみた。自分がされて嫌なことを相手に学んでてもらいたいと思ってのことだ。
私はそこで「ちょっと挨拶をするなどして人に嫌な気持ちをさせない配慮はやろうと思えばできるはずだ」という確信を得て、彼女の人を人とも思わない自己中心的な行動原理を確信した。
しかし、いいこともあった。その場所でさまざまいろんな人との出会いがあり、苦しんだ代償として、今、大きな成果を手にできている。
もう一つは人を怒らせたらどんなに強い憎悪を引き出してしまうかを私は身を持って知った。この人から投げつけられたあまりに汚く衝撃的な言葉の数々。失礼な態度。先輩に対してあるまじき発言。他者に敬意を評さない電車化粧女のような無礼さ。それが他者の心に怒髪天をつく怒りを引き起こす。それがどれほどのパワーを持つかを私は知った。

だから私は多少相手に問題があったとしても、先輩や仕事先に対して、相手が怒るかもしれないと懸念を感じる時は火種がまだ小さい内に徹底的に謝りに行くことにしている。謝る勇気を持たないこの人によって私は猛烈な怒りの炎にさらされ、怒りの恐ろしさを知ったのだ。

そして3つめは汚いゲスな生き方、クリエイトしない生き方、マネして奪うばかりの在り方は他者を傷つけるということだ。電車化粧女の例をあげたように人に配慮しないあり方は他者の魂をクライシスさせ、不幸にさせる。そのことを私はこの人から傷つけられて学び、今一度、自分が信じられる人のために善なるものを目指せる人間でありたいと思うようになった。ヘドロのような汚いものを浴びせかけられ減退したが、最近、ようやくその泥から這い出せそうな気がしてきた。

その人はダイヤモンドは傷つかない、にっこり笑って返してやると書いていたが、私の知る限り、ダイヤモンドは人を飾って自分は飾らない。その人のように自分を飾るためのこざかしい行為はしないのだ。

by yoshi-aki2006 | 2007-09-06 02:00 | 人間考察  

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