参議院議員 松川るい氏 木原誠二氏 そして岸田総理の鈍感力に国民怒る!

参議院議員で自由民主党女性局長の松川るいさんが自ら企画したパリ研修旅行。現地での様子を撮影した写真をSNSに投稿したところ、「物見遊山」との批判が殺到。
さらに火に油を注ぐことになったのが、自身の次女を同伴し、るい氏が会合などで子供の世話ができない間、その世話を大使館員にさせていたことが発覚した。

どこまで一般社会と認識がずれまくっているのか。

まず、民間の会社で研修旅行に子供を連れていくか?
会社の仕事で、つまり会社負担の金で研修に行くときに通常、子供は連れて行かない。

自民党女性局長の松川るいさんが皆々を引き連れてこの時期、パリに行く企画をしたのは一体、いつだったのか。
そして、なぜ、パリなんだ?
この点でも政治センスがない人だと思う。

パリではなく日本国内の災害被災地に行って、被災者対策に汗を流すのが政治家としてあるべき姿だろう。
それでこそ、政党助成金をもらったり高額の議員手当、経費が支払われる立場が国民から許される。
それをなんだ。
パリだと? わざわざ夏休みシーズンに?  子供を連れて? 子守を大使館員にさせていた?
高級ホテルに泊まり、うまい飯、豪華な飯を食ってるだと? それをSNSに載せてる? 
ふざけるな、バカヤローというのが炎天下、額に汗して働いている人の偽らざる感想だと思う。

庶民は政治が決めた電力料金引き上げ策、インフレ、円の価値半減の苦難の中、なんでも値上がりの苦しい状況で節約生活を余儀なくされているのに、何しに公的資金を使ってパリに行っているのだ。
そう感じるのが国民だ。
そうしたことが肌感覚でわからないのが松川るいさんという政治家なのだ。今までここまで常識のない輩とはみんな知らなかった。それがこういう人であったとばれてしまった。
国民からなんとみられるか、行動の前に予測ができないという点で、相当な上流国民意識の人といえる。おそらく、炎上するまで「何が悪いの?」とつゆほども思わなかったんだろう。アホやね。
経歴を見てみる。
大阪の四天王寺高校卒。地元で勉強のできる人は北野高校か住吉高校、大手門や三国ケ丘、豊中高校に行く。四天王寺高校は進学校として17位くらいになる。すごくできるというわけではないけれど、そこそこ勉強のできる人の高校で、親もそれなりの人だと思う。
その後、東大に進み、外務省に。
安倍晋三氏の覚えめでたく、2016年に参議院選挙で勝利。2022年に再選されて二期目となる。
今回の騒動が再選後で彼女にとってはそれは不幸中の幸いといえる。選挙前だと落選したかもしれないくらいのダメージ。まさに危機管理意識の薄い、しかも軽薄で、上流国民意識丸出しの行為であった。
さて、こんな自民党の女性局長のお寒い状況が時の政権、岸田氏にはイタイわけだが、その岸田氏も松川氏と同じくらい、危機管理意識が薄そうだ。

岸田総理が今話題の木原官房副長官の配偶者諸問題について
「木原は関係ないんだろ? 配偶者のしかも、結婚前の事件なんだろ」
と周辺に語ったといわれる。
なにか問題があるの? どこが問題なの?といわんばかりに聞こえる。

やっぱりこの人もずれている。

事件性の疑われる事案の被疑者になりえる人を配偶者にした点で、木原氏はある意味、不運な人である。人を見る目がなかったのか? それはわきの甘さとも言い換えられる。ゆるんだ人だったのか。
将来、もっともっと出世するんだという気概があれば、政治家として大成するにふさわしい伴侶をめとったはずだ。その慧眼のなさが招いた不運ともいえる。
ずるずるっと結婚しちゃった君なのか?

ジジ、ババなどに甘やかされて育った人なのか? 

その性質を見抜き、とことんグダグダにして利用しているかのように見受けられるのが、かねてより乱倫ぶりが漏れ伝わる〇〇谷氏の存在だ。
一説には木原氏の兄の銀行頭取から融資を受けたくてビービーしているその○〇の〇〇谷氏の大接待で酒池肉林のだらしない生活を続けてきたといわれる。

百歩譲って、岸田氏のいうように「木原は関係ないんだろ?」として、
実は問題はそこではない。

警察官僚が法と証拠によらず、捜査を中途半端なまま、うやむやにして、「自死だった」と公的発言してしまったことが岸田政権のでたらめぶりとして国民に受け止められている点が問題なのだ。

この点がわかっていない岸田氏のノー天気ぶりは子息の祥太郎氏の閣僚ごっこ写真流出の時と同じだ。
国民感情の機微がまったくわかっていない。

どうせだますなら上手に騙せよ、というくらい薄っぺらい。
そんな政権が打ち出す政策は国民から信頼されない。この点でことは重大なのである。

では、岸田氏は政権の危機管理としてどうすればいいか?
まず、木原氏に記者会見をさせるべきだ。

そして、苦しい言い訳になるとしても「当時は私もコトの詳細を知らず、また妻を信じてもおり、子供も小さく、家庭人として、また、政治家として国会が始まることもあり、確かに捜査は国会が始まる前までに終えてほしいとの要望をした」
と政治的圧力の本筋はそこではないにしても、その点は認めるべきであろう。

その後、捜査がうやむやになってしまったことは今にして思えば不本意である。誠に遺憾で、被害者から捜査依頼が出されるならば、自身は知らなかったこととはいえ、それはそれとして我が国の法と秩序を守るため、全面的に協力したい。
そうした言葉が木原氏から出てくれば国民は途中、圧力をかけた、かけないの炎上はひとまず、最小化して受け止める人も出てくるのではないか。
圧力をかけたとしても、「ま、知らなかったことでびっくりもし、火消ししたくなったのもやむをえまいかな」と情状の酌量の余地を感じる人も出てくるのではないか。

で、仮に、Z氏が犯人だったとなった場合でも、事実をしっかりと明らかにすべきだと思う。
週刊文春記事によれば、被害者は家庭内暴力の傾向があったとのことだ。
おそらく、子供を伴いY氏という、もともとは夫婦共通の知り合いの男のもとに走っていたX子さん(木原氏の現在の配偶者)を取り戻した被害者とX子さんはその夜、「お前、なんでYのもとに逃げているんだ」「離婚するなら子供はおいてけ」など夫婦喧嘩になったものと思われる。

X子さんのこれまでの報道から、その人となりを想像するに、問い詰められてZさんにSOSを出したと考える。
駆け付けたZさんと被害者はもみ合いになるなどしたのではないか。

結果的には被害者は死亡したが、ここで問われるのはX子さんである。
どんな夫であれ、死亡事件にまで発展しそうな喧嘩状態を目撃したなら、110番通報をするなどし、事件化を食い止めるべきだったのではないか。
それをせず、事件後、すぐに罪を擦り付けようとして呼びつけた不倫相手Yと居酒屋で飲み、ピースマークを出して写真に納まっているということを考えると、Yにしろ、Zにしろ、木原氏にしろ、周囲の男を利用して思い通りの結果を引き寄せている。

このZ子さんのやり方に、成仏していない被害者が「おまえ、それはないよな」と今、こうした状況を引き寄せている気がする。

【追記】
一説にはこのZ氏は公安畑の人で事件当日、わざわざ大塚署に「被害者には家庭内暴力がある」などの相談をしていたそうだ。そして、時刻の情報はないがふらふらと一人で現場近くを歩く防犯カメラ映像もあるという。
さらに「被害者に家庭内暴力の傾向があるとわざわざ大塚署に相談に行ったのはストーリイを作るため説」も浮上しているという。つまり、Yさん宅にいたX子さんを被害者が奪還した時点で「また、被害者宅でこれからX子はひどい目に合う。助けねば!」のスイッチが入り、「もはやここまで」と判断したZ氏が計画的に・・・・というストーリイがあるかもしれないという。

【追記】
さらに別ストーリイとして考えるられること。被害者がY氏宅に乗り込みX子さんと子供を奪還するにあたり、二回も110番通報があったほど、大騒ぎになっていたそうだ。仮にその際、X子さんがZさんに「助けて。家に連れ返されたらどんなことになるかもしれない」と連絡していたとするなら。可能性は十分あると思う。そこでZさんが「もはや、ここまで」とストーリイを練り上げてコトに及んだ可能性もある。

もし、そうなら、大変なことだ。
X子さんが重要参考人扱いで連続10回も事情聴取された背景もうなずけるところがある。

こうしたことをよくよく考えて、木原氏のとる道はいかに?
政治家としてはもう、これ以上は無理。そう悟って、捜査協力など人としてなすべきことはすべてして、第二の人生で仕切りなおす。これまでのキャリアを生かすのなら政策研究所でもなんでもやってシンクタンクとして政策提言をすればいいではないか。いままで本当に岸田氏の懐刀として実力を買われていたのなら仕事は回るはずだ。
この道なら、妻や愛人ときれずとも何も支障はきたさない。
政治家だから、つまり、国民の税金をもらっている立場だから、あれこれ言われるわけで、自分の金でなら乱倫状態や圧力の有無、配偶者の問題をここまで大々的に報道されることはない。

ところで、政治家として利用価値がなくなれば〇〇谷氏は離れていくだろうか?
この点も興味深い。
いずれにしても、岸田氏は国民感情にもっと敏感にならないと、次の選挙は乗り切れまい。
国民の多くは生活者として岸田氏や松川るい氏や木原氏の鈍感さイコール上流国民意識に怒っている。
そして、そんな政権のもとでの官僚のポチぶりのいい加減さにも怒っている。
「法と証拠にもとずいて、再捜査の必要があれば実行します」くらいいえんのか、という点で安倍政権時代の佐川さんを思い出させているわけだ。
森友学園の国有地売却を巡る財務省の公文書改ざん問題で、情報開示請求に対し虚偽の理由で不開示決定を出したとして、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で告発されていた佐川宣寿元理財局長ら同省幹部3人がいたではないか。

それがわかっていない。
岸田氏、大丈夫か?


# by yoshi-aki2006 | 2023-08-03 18:17 | Comments(0)  

電鉄会社にお願い【優先席と車いす、ベビーカースペース】わかりやすく派手に表示して

優先席トラブル。よく報道されている。
優先席に若い人、特段病気でもなさそうな人が座り、席を必要としている高齢者、体の具合の悪い人、妊婦などが席の前に立っていても譲らない。
空いていて、一時的に座るのはまあ、アリだとしても席を必要とする人がやって来たらさっと立つべきだろうと思うが、いったん席に座ると意地汚くしめしめ顔してスマホなど見て立とうとしない。

それを現場で解消しようとして乗客同士が衝突する。
トラブルに発展し、電車が遅延することもある。

世の中も日本人の意識も変わっているのだ。
電鉄会社もそれを意識して対策すべきではないか。今日はその提案だ。

私は電鉄、バスを乗り継いで週三回ほど二軒の老親宅を行き来するが、かつてほど電車内では高齢者に席を譲る人は見かけない。
かつてというのは今から20年、いや10年ほど前のこと。

日本人の意識が次第に変化、変質して、社会性優先より自分事中心になってしまった。
人目を気にしなくなって社会性を失っている。
派遣という働き方や「おひとり様」生活の影響、そしてスマホなどの情報ツールの普及の影響があるんじゃないか。

お年寄りをいたわるという気持ちを持つ若い世代が少ない。
お年寄り側も慈しまれるような人ばかりでないこともある。時には若い世代から眉を顰められるような行動がある。今の高齢者は団塊世代だ。彼らは若い時、社会に批判的で自分事優先傾向を強めた。その子供、孫世代が今、高齢者慈しみの心を忘れつつある。因果応報といえばそうだが。

そうはいっても年を取れば筋力が弱まり、電車の中で踏ん張っているのは若者よりはつらい。だから座らせてあげたほうが社内事故防止という観点で安全だし、電車内事故で電車が遅延するリスクが軽減できる点で情けは人のためならず。自分のリスク軽減にも役立つ。

高齢者が座ることによって体力保持が図られ、席を譲られてうれしい、と感じて本人の幸福度が増し、それが周囲の人にも好影響をもたらす。つまり社会によい影響がある。だから、譲れるなら譲ってあげたほうがいいと私は考える。

ところが、電車の中ではみんな自分事に集中し、自分が楽しむこと最優先である。スマホや高性能イヤホンで没入している。目前の高齢者をチラ見しても席を譲ろうとのスイッチは入らない。
私はおせっかい人間だから、席を必要としている高齢者や子供を抱えた人が長い時間たってふらふら辛そうにしていると落ち着かない。ハラハラする。
優先席に座る若者と目が合えば「お願いします」といって席を空けてもらい、席が必要な人に座ってもらうようにする。
高齢者は席に座るとやれやれとほっとした表情になる。口では大丈夫、と言っていてもやはり座れてうれしいと感じているのが伝わってくる。もちろん席を譲ってくれた人にはお礼をいう。「ありがとう」と。

が、目を合わせない、目を閉じてしまう、スマホゲームに夢中になっているなどでそういうサポートもままならないことが圧倒的に多い。

そこで電鉄会社にお願いしたい。
シートの色や言葉やいろんな方法で優先席を目立たせてほしい。
「あなたに今、この席が必要かどうか、周囲に座るべき人がいないか見回してから着席してください」とか、「基本、若者はこの席に座らないで」くらい強いメッセージを表示してほしい。

シートに「この席への着席は健康に問題ない方はご遠慮ください」などはっきり書いたほうがわかりやすい。

窓ガラスにも「この席は健康に問題ない方はお座りいただけません」くらい強い言葉を貼る。
「この席はいつでも席を必要としている人が座れるようにあけておいてください」
とも書く。

ベビーカー、車いすスペースに立っている人もどうにかしたい。本来、そこを利用したい人が利用できない問題がある。
ついその場所に立ってしまう人が後を絶たない。私も知らずに比較的その場所がすいているので、つい立ってしまっていた。ある時から気が付いてその場所には立たないようになった。
車いす、ベビーカースペースの表示がわかりにくい。だから知らずに立ってしまう。これを解消したい。
マークだけでは伝わらない。
もっと「ここは車いす、ベビーカーの人ためのスペースです」と表示を増やす。

高齢者が安心して電車に乗れる、ベビーカー、車いすでも大丈夫。そんなサポートをもっと積極的にしてほしい。

それで初めて社会的貢献の役割を果たす企業といえるのではないか。
そこまでしてくれる電鉄会社なら本当にうれしい。

さて、月刊木村佳子7月号をアップした。
お時間があればご覧いただければ幸いだ。




# by yoshi-aki2006 | 2023-07-01 10:32 | 提案 | Comments(0)  

習い事教室選びのポイント

オフ時間をどう使うか。人それぞれだが、運動系のactivity(活動)は健康維持に欠かせない。
私はヨガ、ピラティスを10年以上続けてそれを実感した。コロナで自宅すぐの教室が閉鎖になってしまったのは残念だったが、バレエやフラメンコ、ベリーダンス、フラダンスなどの舞踊系のactivityは継続している。
いずれも駅近で通いやすく、教室としての機能も充実で長続きしている。

教室選びで立地はとても重要だ。どんなに優れた先生が教えてくれる教室でも通い辛い場所に位置していると長続きしない。
会社、自宅の近くで教室を探そう。

開催日時が自分の生活に合うかどうか。
会社からなら会社の近くの夕方以降のクラス。
自宅からなら土日昼間などの開催が充実しているところ。

欠席した時の振替機能や、月謝などの費用面の適正性、心付けなど忖度系の教室独自の徴収慣習、イベント開催頻度などもチェック。
チケット制だったりすると自分のスケジュールに合わせて参加できると感じる人もいるだろう。
1986年から始まった派遣法などによって今は正規労働者と非正規労働者の割合でいうと女子の二人に一人は非正規労働者である。
所得は伸びず、ボーナス、退職金もなく働いている女子が高額な月謝をねん出し、イベント毎に衣装、その他を準備し、忖度系の費用まで徴収されるようでは通うモチベーションは減退する。イベントがたくさんあり、都度都度、参加奨励なら費用面で苦労する。わざわざ発表会がない教室を選ぶ人もいる。

教室が目指していることは何か? それも吟味したい。
規模の大きさを目指している教室なのか。家族のようなアットホームな居心地の良い教室を目指しているのか。プロ輩出に力を注いでいるのか。
規模の拡大イコール質の充実かどうか。
もちろん質の充実は規模にかかわらず見なければならない。

ちなみに、フラメンコの場合、振付やフォーメーションも重要だが、最も重要なのはカンテ(唄)だ。
例えば日本の踊りでやすき節なのか黒田節かもわからず踊ることはないだろう。
なのでカンテで何がうたわれているかもわからず振付だけ夢中になって覚えても意味がない。
それぞれの教室でカンテ重視か、振付重視かの傾向がある。

いろんな教室の発表会を積極的に観に行き、生徒の状態を見ることも教室選びの参考になる。
例えばフラメンコの発表会なら、この中の何人くらいが本格的なパルマをたたけるかとか、いきなりブレリアを臆せず踊れる人が何人くらいいるだろうかとか。

ある教室のミニ発表会ですごい生徒さんがいて、客席で感心していたらその教室の方が「彼女は昼間は幼稚園の先生なのよ」と教えてくれた。教室主催者の先生はレジエンドでゆったりとした雰囲気の方だったけれど、こんなにすごい生徒さんがいるんだと思い、どんなふうに指導されているのだろうと思いをはせた。

舞踊団としてどんどん舞台に出ていく系の教室もある。スペインのタブラオに踊りに行くようなチャレンジも見た。生徒も舞踊団の一員になろうという人が集まるようだ。だから私のようなのほほーんと楽しく習いたい、通いたい場合は場違いだと思う。

教室主催者の先生が献身的に職人的にマンツーマンで教えてくれる教室もある。
ただし、マンツーマン教室の場合は覚悟が必要だ。
天才舞踊家のライブにしびれたとしても、そのかたに習うのは、のほほーん系生徒には恐れ多い。若くてこれからプロを目指そうという人が習うべきだと思う。

代行を担う人たちも見ておこう。感情に任せてレッスンに関係ない事柄で生徒を人前構わず罵倒したり人格攻撃をするような心得違いの代行もいると聞く。
正しい病というか本人の偏った思い込みに反発する生徒にはつい攻撃的になるのだろう。

私のように趣味として楽しめればいいなあ、健康効果も期待出来て、ちょっとしたイベント性もあって・・・・と思っている生徒にとってクラスでストレスを感じるのはごめんだ。何のためにお金を払って嫌な思い、理不尽、不条理、不愉快な思いをしなければならないのかと思う。

代行講師が会社の上司感覚で細かなことをいちいち口うるさくヒステリックに注意するようでは集う人にストレスを与える。
そういう代行に限って、踊りは小さく縮こまっていたり、おおらかさや明るさ、展望がなく息苦しく見苦しいのではないか。舞台はすべてを明らかにする怖い場所だ。

フラメンコはコンパスというリズムに乗って舞うが、コンパスがずれている代行からコンパスについて注意されたりすると生徒側はしらけるし、うるさく攻撃されると生徒は萎縮し、学芸会踊りになってしまうだろう。
教室を変わるきっかけはこうした代行が原因になることが多い。

教室を変わったいろんな知人に聞くとたいていは「意地悪な代行に辟易して」という理由を言う人が多い。
会社でも問題ある人を役職に就けていると、部下がどんどん離職し、しまいには会社が衰退していく。教室主催者は自分がライブなどで留守を任せる代行には目配りが必要だ。
自分に憧れてせっかく教室に集まってくれている生徒を大事にするならば、代行選びは教室運営の肝といえる。
そもそも教室主催者に賛同して生徒は來所している。代行が主催者の生徒にストレスを与えるなんてあってはならないことなのだ。

幸い、私が通っているバレエ教室では代行の先生は生徒にストレスを与えるような教え方は一切しない。
育ちの良さがこの人柄をはぐくんできたんだろうなというような素敵な代行だ。
だから年齢の高い人も安心してマイペースでレッスンに励んでいる。
主催者の先生以外に代行の先生のクラスも受講して教室を選ぶと間違いが少ない。

通う教室が定まったら、生徒心得も定めておく。
舞踊系はハマるとどんどんハマっていく。お金、時間、労力をつぎ込んで際限がなくなっていくことが多い。
人生、なすべきことは多いのに、舞踊系に多くの時間を費やした挙句、永久の素人以外、何者にもなれなかったことにはっと気が付いた頃、寿命を迎えることもある。


姑は日舞の名取となり、舞台に立って踊りまくっていたが、腰を痛めて老後に健康寿命を縮めた。
結婚後に舞踊系にハマって家に帰ってこずに離婚に至った人もいる。
離婚に至らなくとも、プロになるわけでもないのに舞踊に熱中し子供を産む時期も逸し、仕事にも差し障って、家庭生活も家族に我慢をしいていたりする。一体そこまでの熱狂は何なんだろう。のめりこみ方が激しい場合、夫が賭け事やゴルフなどに熱中して妻子を嘆かせるのとどこが違うのか、時には冷静に考えてみたい。

生徒心得として
仕事か家庭が第一なのか、舞踊が第一なのか、優先順位を決めておく。プロになるわけでもないのなら線引きは必要だ。
こうなったら辞めるというデッドラインを決めておく。
つぎ込む費用を決めておく。私立大学の学資ほどつぎ込むのか、国立大学並みの費用にとどめるのか。
見栄を張ったり競争したりしない。そうしないと際限がなくなる。楽しめる範囲にしておく。

いつでも日常生活に戻ってこれるようにしておくといい。

さて、ここからは一回完結の勉強会のお誘いだ。

【木村佳子の講演予定 お知らせ】
◆7月1日 リーガロイヤルホテル新居浜
14:10~15:10分 木村佳子登壇  新NISA活用とインフレ防衛資産運用

◆8月8日(木)札幌   主催/日本証券新聞社
お申し込みは会場名をお書きいただきファックス(03-3662-0361)までどうぞ
■会場:北海道自治労会館 5階 「大ホール」
  (所在地)北海道札幌市北区北6条西7丁目5-3
  (アクセス)「札幌駅」 西改札口より徒歩8分
■タイムスケジュール
12:30 開場
第1部 13:30〜14:20 エスプール(2471・東証プライム)
<10分 休憩>
第2部 14:30〜15:20 日本都市ファンド投資法人(8953・東証REIT)
<10分 休憩>
第3部 15:30〜16:30 木村佳子登壇  株式講演会
(終了後5〜10分 お楽しみ抽選会)

◆9月20日 徳島  主催/日本証券新聞社
お申し込みは会場名をお書きいただきファックス(03-3662-0361)までどうぞ
 【会場】あわぎんホール 5階 小ホール(所在地:徳島県徳島市藍場町2丁目14番地)※JR「徳島駅」より徒歩8分
 【タイムスケジュール】
 12:30 開場
 第1部 13:30〜14:20 上場企業IR
 <10分 休憩>
 第2部 14:30〜15:20 上場企業IR
 <10分 休憩>
 第3部 15:30〜16:30 木村佳子 株式講演会
 (終了後5〜10分 お楽しみ抽選会)
 


# by yoshi-aki2006 | 2023-06-25 12:47 | アンテナ | Comments(1)  

病院で死にたくない~終末医療に疑問がいっぱい

実母が大動脈解離。老人ホームから緊急搬送された。こうなるとたいていは二日以内に亡くなると聞く。
そこで親族は病院に。
ところが思うようには会わせてはもらえない。
遠方、やっと時間を作ってようよう病院にたどり着いたとしても、「先生に聞かないとわからない」とナースステーションで言われてしまう。
「予約のある方しか会わせられない」。
その予約を取ろうとすると受付の電話が込み合っていて長々待たせられる。
やっと病棟ナースステーションに問い合わせてもらうと「先生に聞かないとわからない」
その先生はというと今日はいない。この繰り返し。らちが明かない。

重篤な日には5秒ほど顔を見ることができたが、別の日はナースステーションで「先生に聞かないと」と止められ、その先生はまたもや留守だった。

その日、「個室に患者さんを移動させてなら会わせられる」その個室は一日2万円。いったんその個室に移るともう元のベットには戻れないのだそうだ。
退院するまでその一日2万円の部屋にいなければならないという。
面会日だけその個室に移すことはできないのだそうだ。
実母は齢95歳。
もういつ何時、万一のことがあるかもしれない。
そこにいるのだから、手を振るくらいの面会も駄目なのか。

病院の言い分もわかる部分はある。
コロナがまた増えているので、部屋に面会人が入ってその病室で万一コロナが発生し、重篤な人や亡くなる人が出た場合、収拾がつかない大影響が出る。
だから、部屋に人を入れることはできない。
ごもっともだ。

しかし、やはり病院には不備があると思う。
面会室という個室に患者を一時的に誘導し、透明シートかなにかで防御したうえでせめて手を振るとか、顔を合わせるくらいのスペースを作ればいいのに。
地獄の沙汰も金次第とばかりにその病院では3つしかない一日2万円の個室に入りぱなしでいいなら会わせられるとは。

病人にとって家族が励ましに来たということがどれほどエネルギーになるかを考えてないんだ。
その日は前々から食べたがっていた昔ながらのブドウを探し出して持参したが、食べるものはだめという。

不用意にそういうものを食べて万一のことがあればと病院は思うのだろうが、死期の近い親族にこの世の名残にブドウをわずかでも口に含ませてやりたいという思いは病院側が立ちはだかってかなえさせない。

姑の時もそうだったけれどコロナが流行ってからなのか、その前からなのか、病院で亡くなるということは「不自由」を余儀なくされる。こんなことってありなのか。病院はヒエラルキーがはっきりしている組織で指揮系統がはっきりしていて、入院している患者にもその家族にも組織自体が強権を持つ。
家族の命を人質に取られているようなもので、親族は病院とかかわる以上、その強権に従わざるを得ない。人道上のロジックが容易には通じない。
家族や自分の終末を病院で迎えるかどうか、本当に今一度よく考えなければならないなと思う。

自宅で家族に看取られながら、亡くなる。その死に方のほうがよほど本人にとっては充実した終末になるのではないか。
あれダメ、これダメ。そしてヒエラルキーのトップである医師に聞かないと何も決められない現場。
家族を盾に取られて、カネ次第で事情が変わってくるのは一体、病院とは何なんだろう、と立ち止まって考えなければならない。
実母の場合、95歳という年齢なら死亡退院の可能性が高いのに、そのわずかな時間に家族と会わせる発想が病院にないのはいかがなものなのだろう。

そして、家族はただでさえ家族が病気で打ちのめされている場合が多いのに、「病院」という「不自由」がさらに追い打ちをかける。嫌な思い、悲しい思い、悩ましさには病院という組織の在り方やあれダメこれダメの対応からくるものが実は多いのではないか。

ちなみに母は息を吹き返し、一度は重篤な状態であったが持ち直した。
あと一か月か二か月入院したら(30日と60日では随分と開きがあるが)、老人ホームに帰れるかも知れないという。
ちなみに60日入院した場合は120万円。
第一連絡人になっている長男の采配があるので、嫁に行った私が勝手には決められないが、なんとも複雑な思い。
終末医療の在り方を病院経営者はよく考えてほしいものだ。

私は病院で最後を迎えたくないなあと思う。
最後位、好きなものを食べて好きなようにして死にたい。

いや、ほんとに病院で死にたくはないとつくずく思った次第。
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# by yoshi-aki2006 | 2023-06-11 00:46 | 事象観察 | Comments(0)  

成功し続けるには打たれ弱さの克服 鈍感力が必須

市川猿之助さんの今回の件。
水面下でどんなことがあったかは分からない。
しかし、騒動の原因といわれる週刊誌報道に限って言えば、死ななければならないようなことですか? と思った。

記者会見を開いて、「私、酒が入るとキス魔になってしまうようです。反省しています。いい舞台を見せますので、それに免じてご容赦ください。今後はこんなことのないように励みます」とわびれば済んだことではないだろうか。

打たれ弱いのが本当に残念だ。

もっとも、一丸となって舞台を務めなければならないのに内部に裏切者がいるかのような状態が耐えられなかった、という気持ちになってしまったのは分かる。足元が崩れ落ちるような無力感を味わったのだろう。

一説には破門になった役者がリベンジとしてこのネタをチクったとも聞く。
破門になった者の恨みはこうした形で仕返ししてくるのはこれまた世にはよくあることだ。

破門!
とする前に人としてひざを突き合わせてなんでアンタがダメなのか、こんこんと言って聞かせることがあってもよかったかもしれない。
しかし、そこまで猿之助さんが老成していなかったのかもしれない。

お前とはもう組めない!!

相手にそう言い放って縁を切るとする。相手は納得していない。
人は一生、どんな人でも承認要求を持ち続ける。
承認要求をこじらせると人はとんでもないことまでしでかして、それを満足させようとする。

時にはそういう火の粉、炎の直撃を受けることがある。
成功者の多くは一度や二度、そうした経験で痛い目に合う。

しかし、そんなことに打ちひしがれてはだめだ。
返す方法もある。
交わす方法もある。
鈍感力でしのぐ手もある。

市川猿之助さんにも打たれ強さが求められる。
芸の完璧を目指そうとするエネルギーで自己像の完璧を求めてはならない。

現実の人間なんて大なり小なり、テレンコテレンコしているものだ。
仕事の時にピッとすればいいではないか。

厚みを増した市川猿之助さんの復活を待つ。

さて、私もピッとしなければ~。
26日は兵庫県三田のプレミアホテル内ホールで講演です。
詳しくは動画概要ランでご確認くださいね。









# by yoshi-aki2006 | 2023-05-25 08:57 | Comments(0)