硬いおせんべいをがりがり食べていたら、ざらっとした違和感を感じ、もしかして? と慎重に口の中を舌で確かめたら・・・・。歯の一部が欠けてしまっていた。
そのうち、そのうち。
いつも一発で直してくれる行きつけの歯医者さんに行かなくっちゃ。
前に年末に駆け込んだら、すべての容器を消毒し終わり仕事納めをした直後だったらしく、助手の女性と「あーあ・・・・・」という表情をされているのが分かったことがあった。
なので年末は遠慮し、正月も遠慮し、もういいかな? と思って訪ねたら、なんと廃業されてしまっていて、その場所には「貸事務所」の張り紙が出ていた。
どおりで電話がつながらないわけだ。
あら、困った。
どうしちゃったんだろう????
腕のいい、良心的な歯医者さんだった。
ながながと引っ張らず、全力でたいていはその日で治してくださった。
料金もリーズナブルで方針も明確。
不要な治療はしない。頑固なまでにしない。こういう風にしたい、とお願いしても理由をきちんと説明して「だから今のままでいいんですよ」と諭された。
なぜ、廃業してしまったんだろう?
先生は私よりちょっと年上だったような。
いや、昔、同い年とか言っておられたかも?
たまに治療に伺うと「あら、先生も年取ったゃったな」と感じることがあった。向こうも私を見てそう思っていたかと思う。
年取ったゃったし、マイナ保険証とかめんどいし、もういいかな。そんな風に思われたのかもしれない。
周囲は今も昔も開発が盛んな場所でだんだん住人がいなくなっちゃったこともあるかもしれない。
新しい住人はもっと今風の医院に行くのかもなあ。
その医院は先生の苗字をいただいた小さなビルで昭和な雰囲気。
いかにも今風の新しいクリニックとは違う。
周囲に立つタワーには派手な職業の方たちが住む。
コロナや2025団塊世代の後期高齢者入りで顧客層の多くが旅だった可能性もある。顧客層が消失という事態にも直面したのかなあ。あんなに腕のいい先生はいなかったのに。
私は前、その歯科医院のすぐそばに住んでいて、以前からの住人に「あの歯医者さんは上手だよ」と教えてもらって通いだした。
かれこれ30年は経つよなあ。
先生はお元気なのかな?
お元気だといいけど。
せっかく時間を作っていってみて、通った場所に貸事務所の貼り紙があるのを見て、ちょっと寂しい気持ちになった。
あの人もこの人も旅立っていく。
この店もあの店もなくなっていく。
街にはどこにも外国人が歩いていて、インバウンド向けの店舗も多くなった。
この寒さの中、けなげに咲いている黄色いマーガレットの古株を見てやっと古くからの友達にあった気がし、「きれいだねー」と声をかけた。「みんなみんなこの世にちょっとの間、歯医者さんだったりお母さんだったり、今日ステーキ肉にされた牛だったり、寒空にまるまる野良猫だったり、仮の姿で生きているんだな」
と思った。
明治神宮で今日切られてしまった大木の映像をXで見て気持ちが沈んだけれど、また、別界で会えるさ。
よく頑張ったよね。
今までありがとう。
歯医者さんや明治神宮で切られた大木や昨年、見送った実母やらに感謝の気持ちで空を見上げた。
別れはしばしのことなんだ。いつか別介でつながれる。そう信じて、今、永久の別れみたいに悲しむのはやめようと思った。
事実、昔、「なんで?」と思っていたことが20年近くたった今、「ああ、そうだったのか」と急にパタパタっとつながったりする。
私とは直接の知り合いではないけれど、ある人が海で亡くなって、その人をものすごく慕っていた知人が「この亡くなり方には納得しない」と慟哭していた。
長く長く不思議に思っていた。
最近知り合った人の知人が海で亡くなった人のことを知っていた。
そうだったのか。
やっと点と線がつながった。
「納得できない」と忘れずにいたことは思いがけないタイミングで答えを得る経験は少なくない。だから忘れない。あきらめない。思い続けること。思いを持ち続けるといつか答えがこだまのようにやってくる。
最近、芸能人の隠し事が本人にとっておそらく思いがけないタイミングで明らかになり大騒ぎになっている。
それもこの世の摂理なんだろう。
この世の摂理。
それを信じて淡々と生きていこう。
寂しい気持ちはそう思うことで風と共にどこかに消えていった気がした。
ま、ぼちぼちと。
自分の歩みで。