100年先の日本を作ろう!

あら、木を切っちゃったんですね(私)
そうなのよ、全部切っちゃったの(ご婦人)
鳥がたくさん来てたのに…・(私)
ねー。切ることないのにね。邪魔なものは切っちゃうって単純な問題解決法よね。ムクドリが大量に集まるので切っちゃったんですよ。(ご婦人)
まあ、近隣マンションの方たちにしたらムクドリが集う夕方や飛んでいく朝方など鳴き声がうるさいってご事情があるんだろうけど(私)
マンションったってこの辺りだけでしょ。私たち住人の宝物だったのに(ご婦人)
木は一年では育たないのにねえ。もったいないですねえ(私)
ねー。邪魔なものは消せってやり方怖いわ。そのうち、私たちも「お前邪魔」なんていって木のようになっちゃうかもね。ふふふ。(ご婦人)

昨日、見ず知らずのご婦人とこんな会話をした。
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こんなふうに木を切ってしまってる。
ここだけでなく10本くらい、点在するみんなの木を切っている。

住人にとって木は友達。
日常生活にふと見ると木があることで、心癒される。
命と命の会話を交わしている。

ムクドリが来てうるさいから、木を切るという方法論しかなかったのかどうか。

そんなことをする行政は納税者から愛されない。
こうしたことを断行する行政をモニタリングするために議会に行ってみなければならない。
そして議員の様子、問題意識を知らなければならない。
多数決の欺瞞には気を付けなければならないけれど、納税者の気持ちに沿った政治がなされているかどうか、こちらも責任を持たなければならない。

何のために? 100年後の日本を作るために。


# by yoshi-aki2006 | 2024-04-17 10:01 | 生きる力 | Comments(0)  

やりすぎてはいけない~オーバーランを避ける生き方 「物足りないかな」がちょうどいい

人生もいよいよ後半戦に入ると自分の過ぎし来し方を振り返って
「ああ、あれはやりすぎだったな」と反省する事柄が見えてくる。

例えば美醜について。
40歳前後の頃、顔のたるみが砂の城が強風に削られるように気になってきた。
そこでレーザーでの引き締め施術を受けた。
結構お高かった。
今の為替レートでハワイ旅行に行くくらいの費用だったように記憶する。
でも、今から考えると、別に躍起になって肌のたるみを食い止める必要はなかったなと思う。

母は90歳半ばだが、気になるようなたるみもなく、肌はきめ細かできれいだ。
特に何もしていないのに。
彼女は栄養価を考えた献立で育てられたし、私たち子どもにもそうしてくれた。
そうした栄養価の高いバランスの良い食事の恩恵が肌の再生にも寄与したのではないかと思う。

レーザーでその土台を一時的にもぶち壊した結果、その後、様々な余計なケアが必要になった。
自然に任せておけばよかった。

50歳代になるとますます美醜を気にした。外見の劣化に意識が向いた。
雑誌グラビアなどの美しい女性と比較して「今の自分はこんなことではいけない」と思った。
今にして思えば、そんなに気にすることはなかったのにね。
みんな年を取るのだし、のびのび暮らせばよかったと思う。余計なことにうつうつとすると生活の質が損なわれる。

世の中のすべての人がモデルのような美しさを求めるわけではない。自然でいいのだ。自然なたたずまいが人の好感の源泉であることは盛り系の人物への人々の直感的な嫌悪感からしてもよくわかる。

そのころ、有名な男性司会者がイベントで「○〇さんとフランスレストランでワインもいいけど、木村さんとじっくり居酒屋で飲みながら話したい。皆さん、そう思いませんか」とか会場に投げかけて大きな拍手が起こったことがあった。

○〇さんのことを外見に似合わずがっつり盛った怪しい人物だとかねがね思っていたこともあって、男性司会者の軽薄な価値判断に強く失望。そして、○〇さんがフランス料理でなぜ私が居酒屋なのかという点に、ものすごく腹が立った。

そして、その有名司会者を前々から「何なの、わけがわからん人物」と評していた同業者にいぶかしく思う気持ちを即刻修正。強く共感した。もちろん、その男性司会者を毛虫くらい嫌いになった。

今になれば、「そんなことを言ったり思ったりする人もいるがそれはその人の問題であって私の問題ではない」と思うようになった。
ちなみにその有名男性司会者はどちらかというと整った風貌ではない。だから彼の愛嬌のある顔立ちや雰囲気が○〇さんのクールな外見に惹かれたのだろう。彼もまた自分の外見にいろいろな思いがあったのだろう。

さて、仕事の領域に「分析」が含まれるので化粧品は成分表示から「これとこれはほぼ、同じ」ということが推定でき、高額商品にお金を突っ込むことは避けられた。
分母を大きくすることだ。するといかに自分がちいさなコトに躍起になってやりすぎるかに気が付ける。

私がやらなくてよかったと思うことに脱毛がある。
思春期の頃、脛や腕の産毛が気になった。
だから脱毛する人の気持ちはよくわかる。
アメリカでのことだ。スーパーにスーツ姿の女性がいた。通勤帰りに立ち寄ったのだろうなと何気に足元に目を落としてぎょっとした。ストッキングにくるまれた彼女の脛は墨で書いたような剛毛がびっしりと覆っていた。
日本人女性はあんな剛毛は脛に生えない。
せいぜい、脱色くらいにとどめておくことだ。

脱毛を容易に行ってはいけない。
なぜなら毛根が肌を守るのであり、それを根治してしまえば乾燥肌になる。

自分が何をやりすぎてしまっているかは過ぎてからしかわからない。
でも、「今にして」と振り返り、やりすぎだと感じたことは次からは「ちょっと物足りないかな」くらいでとどめておく。
その知恵が必要だ。

草刈りをすると、宿根系の植物は地下茎でシンジケートを張っている。茎を掘り返し、草を根絶やしにすると土が現れる。土は乾燥すると土埃になり目に入るとおおごとだ。
土埃を避けるためにアスファルトで固めると日射で熱を溜め、散歩の犬の足はやけどし、熱気で犬のみならず人も熱中症になる。
果ては環境に影響を与えるまでになる。

株式投資もそうだ。「儲かっている間に止めるが上等」ということを高齢家族に口を酸っぱくして言わねばならない。

どこまでやるか、どこでやめるか。人の人生もそうだが政治にも判断に深い知性が求められる。闇金隠しや破廉恥パーティにいそしんでいる政治家に深い知性があるとは思えない。
一人一人がよく考えなければならない。
https://youtu.be/jHvDo4rfPGM



# by yoshi-aki2006 | 2024-04-16 10:59 | シンキング | Comments(0)  

若見せしなくても若見えする私の健康法

昨日は趣味のフラメンコの発表会。
カーニャとタンゴデマラガ、そしてこの衣装で最後のフィナーレ セビジャーナスを踊った。 
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発表会当日に向けて、節分頃からフォーメーションの練習。そして、何度も何度もリハーサル。
お教室の主催者である先生が初めて発表会に参加する人も戸惑わないように、配慮した練習スケジュールを組んでくださる。

発表会に向けてのレッスンでは体は意外と疲れない。それよりも群舞で踊るための段取りに頭や気を遣うことや衣装やアクセサリーなど非日常品を身に着けての体験に慣れることなど筋肉とは違う部分の疲弊感を味わう。

すると、発表会が終わった頃、筋肉量や体筋などに物足りない感が生じる。そこで、翌日、体を鍛えるべく、体幹強化とタメとキレの先生に指導を受けることに。
こちらの先生とは1年ぶりくらいの再会だ。
久しぶりの再会で、初めて先生に実年齢を言うと20歳は引いてもいけるんじゃないかと言われた。キャー😆
またまた~と思ったけど、みんなに夢を与えるから年齢を明かしたら? とまで言われたので、まんざらヨイショではないのかも。
そういえば家族が入院した時、見舞いに行ったら後日、「娘さんですか?」と聞かれたと家族が言っていたから、多少とも実年齢より若く見えるのかも知れない。

20歳代のころはもの凄く老けて観られていたのに、実際に老けてから若く見えているということは何が原因か。
あの頃と今の何が違うのか考えてみる。

すると飲酒と喫煙習慣だと思い至った。
今の私は20歳代と違ってほぼお酒は飲まない。
お酒そのものは大好きで、味わう程度には嗜む。
しかし、酔う程には飲まない。酔うとしんどいし酔って何が楽しいんだかな? とも思う。
飲まないほうが圧倒的に体の調子はいいし、気持ちも楽しい。

20歳代のころなんであんなに飲んだりタバコ吸ったりしていたのだろう?
飲酒や喫煙が「私って大人」って自己満足を誘発し全能感を支えていた気がする。
ウイスキーの水割りなら7杯は飲んだ。たばこも1日1箱から2箱くらい吸っていた。
そんなある日、あれは20歳代の後半だったろうか。毎晩のように飲酒していた知り合いの女性の頭髪がものすごく薄くなっていることに気が付いた。
まるで老婆のような悲惨な状態だった。ふわふわした細い毛の間から地肌が透けて見えていた。一体なぜ????

飲酒は血管を広げ、たばこは逆に血管を収縮させる。
それで血管が疲れ、毛にも肌にも内臓にも栄養が届きにくく、老廃物もよどむんだ。
自分なりにそう結論ずけ、飲酒はやめた。

今回の発表会後の打ち上げで、久しぶりにお酒を飲んで、やっぱりいかんな、と再確認した。
おなかがアルコールでものすごく疲れてしまう。普段飲まないから如実にわかる。炎症を起こすのだろうか。
もとの胃腸に戻るために3-4日はかかる。肌も生気がなくなる。しわしわになる。

酔うほどに飲んではいけないんだ。
舌で舐めるようにちょっとだけ飲むくらいでいいんだ。
お刺身に日本酒ならおちょこで二杯くらい。
肉や魚料理ならワインを一杯程度。
時間をかけてシャンパンを少し。
クラフトビール、黒ビールを小さなグラスで一杯。
頻度としては年間で4回くらい。
それくらいが私には適量。
酔うために飲むのではなく、お酒はその味を楽しむもの。その結論に落ち着く。

たばこは集中力が増すような気がして、執筆仕事が続いていた頃、なかなかやめられなかった。しかし、ある実業家が「知ってますか? 出産を考えているなら、喫煙はやめたほうがいいですよ。子供に影響が出た時、喫煙が原因だったかも、と後悔するのは嫌でしょう」と諭してくださった。「医者の友達が言っていたよ。子供に影響が出ているケースが多いんだってさ」と。それを機に止めた

子供は持たなかったけれど、30歳台でたばこをやめて本当に良かった。
たばこはおいしいが、なくても別に困らない。

健康な体を作る。健康でいられるように体をケアし、飲むもの、食べるものにも気を配る。
そうしていると自然と若見えする。若見せしなくても若見えするなんてめっちゃリーズナブル。マネーセーブ!

# by yoshi-aki2006 | 2024-04-07 22:05 | ライフスタイル | Comments(0)  

ありがとう! 大阪講演閉幕 暖かいお声がけと差し入れに感謝!

大阪講演終了!
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東京は大荒れの天気だったので大阪はどうかな~と心配しましたが冬と春の入れ替わりの寒さを感じながらも、雨は降らずに晴れてくれました。さて、日中開催であるため、来場なさる方は限られますが、たくさんのお客様にご来場いただきまして心より感謝です!

また、ありがたかったのはyoutube「木村佳子チャンネル」をご覧くださっている方が増えていて、親子で「成果が上がっています!」とお声をかけてくださったり、「あの番組で銘柄を研究するようになって成果が上がってきている。淡路島にいったお土産渡したい」とか言ってくださる方がいらっしゃること。
とても励みになっています。ありがとうございます。
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いろんなお菓子を小分けにして「新幹線で食べてね」と渡してくださる方もありがたく、さっそく帰りにいただきました。飴やチョコ、クッキーなどがバランスよく袋に詰めてくださっていてお心使いが身に沁みます。家に帰ってきたら、あら、愛知県の名物、千春うなぎが届いていました。愛知県といえば、名古屋講演にご来場くださっていた投資家さんが大阪会場にも足を運んでくださっていて、本当にありがたいことです。

できるだけ仕事を選んで投資家さんとの信頼関係が崩れかねない案件はお断りしているのですが、その方針を貫いてきてよかったなと思います。
主催者も選ぶ。新聞社、取引所、商工会議所や日本証券業協会などの公的存在、地域密着型の手堅い証券会社さん、ラジオなどのメディアなどなら投資家さんも安心してセミナー会場に足を運ぶことができます。
投資家さんの名簿だけ欲しがるような短期決戦型のスポンサーさんはお断りする。
案件もなるべく受けない。

幸いにも仕事を選べるので、こちらも落ち着いてマイペース、マイチョイスで仕事ができます。

ところで、大阪は外国人だらけ。韓国、台湾などアジアの方や欧米系の方々の姿が街中のそこここに。定宿としていたホテルも取り壊されて新しく何かが建つようです。本格的に外国人を迎え入れる宿泊施設になるのかな。
大阪は古き良き建物を残したりして風情がありますが、この間まであった個人のお店が無くなっていたりして、世代も入れ替わっていく印象に何かちょっと寂しいなと感じました。
新陳代謝をエネルギーとしている株式市場を相手にしているわけだから、むべるかなではありますが・・・。

さて、書店では週刊エコノミストが発売になりました。
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詳細はこちら

相場観は「月刊木村佳子3月号」で申し上げた通り、3月は一服です。




私も暖かい懐の深い投資家さんに甘えずおごらず研究を続けねば!、と思います。


# by yoshi-aki2006 | 2024-03-14 15:45 | 感謝 | Comments(0)  

「はったり」の上げ底と「野心」のエネルギーを持つ人持たない人の差

久しぶりの更新だ。
今日は誘われてスペインバルでのフラメンコ企画を観に行き、感じたことがトピック。

スペインバルでの舞踊企画はお客さんを持っている何名かの踊り手で構成される。バルはたいていの場合、70~100名くらい入れるスペースを持つ。ケーススタディの一例だが客はダンサーからショーチケットを買い、スペインパルでは飲食費を払う。ダンサーは舞台に参加する費用を企画者に払う。企画者はギター、カンテなどのアルティスタの費用、バルのレンタル料を引き、残りを自身のフィーとする。ダンサーはチケットを売った分、参加費を軽減でき、ノルマ以上にチケットを売った場合は多少のインカムを得る。
見に来るお客さんを確保できるダンサーを集めれば、企画者もそれなりに収益が得られる。

100名が4000円のチケット代金を払ったとすると40万円が踊り手によって集められる。
バルでは100名にドリンクや食事を課していることが多いから一人単価4000円として40万円。
合計、一晩のショーでバルの規模にもよるが80万円前後の売り上げとなる。
バル側はたくさんショー企画があればあるほど安定的収益が得られる。
なのでバル側も営業企画としてセールスするし、アルティスタやダンサーも自分の収入を増やすために主催者となって企画するわけだ。
客が呼べない出演者は最低限の参加費用を主催者に支払うことになるので、教室を運営して観客数を確保できる先生業の人が舞台に立つ機会が多い。来場者を毎回コンスタントに確保できるかできないかがダンサーとして舞台に立ち続けるポイントになる。
ちなみに教室を自前で持ち、企画催しを定期開催すれば多角的な収益源になる。

ダンサー側は舞台に立つことによって自身の経験も積め、チラシなどで名前が知られ、生徒を獲得することにもつながるから広告効果も見込める。

ただ、よい舞台を務めて「この人が出ているなら観に行こう」と名前で観客を呼べるダンサーになるにはこうした企画ものだけでなく、別の山の登り方も必要になる。

例えば海外で修業し、その際に有名なダンサーに学んだり、現地でソロで舞台に立つなど実績を積み、それをプロフィールに盛るなどして経歴に箔をつける。
ダンサーを撮影させたらピカ一と評判のセンスのいい写真家に撮ってもらい、それをホームページやチラシに使う映像によるイメージ戦略も必要だ。

海外有名ダンサーと日本でもコラボ公演する取り組みも有効である。
「××子が日本に呼んでくれる」「おれたちに仕事を作ってくれる」という実績を作っておけば話が実現しやすい。

こうしたことを継続的に行うにはビジネス感覚はマストだ。
ただ踊りがうまい踊りバカではだめなのである。

支援者がいれば踊りバカでも話は違ってくる。敏腕マネージャーが仕切ってくれるとか、才能を認めてタニマチが付くとか。
家族が団結してサポートしてくれるとか。

それには「この人のために何とかしてやろう」と思ってくれる人と出会える運も持ち合わせなければならない。

ただ、踊りが好きだから踊っているとか、自分の好きなように感情の赴くままにふるまって満足しているにとどまれば自己満足で終わる。大多数の人はそのカテゴリーに属し「素人」か「素人に毛が生えた程度」のダンサーで終わる。次第に年齢的にむつかしくなったり、金銭的に続かなくなっておしまい。お金と時間を費やして自分の好きなことをやっただけ。

株式投資や事業でも同じことがいえる。「自分が好きなようにやって楽しんで終わり」では消費に過ぎない。
株式投資の場合は山を引き寄せる成果をあげないとむなしいし、自分も家族も不幸になる。
事業の場合は商売が成り立って従業員の継続的雇用や地域社会、取引先、消費者に貢献することで社会的存在として命を与えられ、それが喜びとなって経営者に返ってくる。
一方通行だけではむなしくはかないのだ。

企画モノだけで舞台人として終了するかリサイタルが開けるくらいの存在になるかは踊りが決め手になるのではない。
踊りや外見の問題ではなく、ある種のド厚かましさや自分の能力以上に野心を持っていなければならないのだ。

さらにその時代に頑張っていた人というだけで終わらず、長く歴史に名前をとどめるには、多くのプロからリスペクトされること。
教室運営などビジネス面で成功している場合、ともすれば「社長が踊っている」踊りになってプロからのリスペクトは得にくい。むつかしいものなのだ。
ビジネス面で仕組みができた後はサポートしてくれる人に任せたほうがダンサーとして大きくなれる。
子供か夫か兄弟か。
あるいは苦楽を共にしてきた仲間か、知人か友人か。
しかし、ここにもむつかしさがある。芸能界でもよくあることだが、有名になればなるほど、関係者が金品を持ち逃げしたり、経理をごまかしていたりする。
子供とのトラブルならまだ、あきらめもつくが、上り詰めようとする人は子をなしていなかったりする。

さて、先般拝見した企画モノの舞台。
出演者の一人と縁あって喜んで観に行ったのだが、ご本人は「納得がいかない舞台で申し訳ない」という。そんなことはみじんも感じなかったが、踊り手として自分でいろいろと感じる部分があるのだろう。
「もっとこうしたかった」「もっと踊れた」と査定してしまうようだ。
その向上心が彼女をさらにさらにと導いていく。

一緒に彼女と踊ったという人も見に来ていて「踊り始めるとき、彼女のスイッチがオンになる瞬間がわかるのよ。そして、やはりすごいなとその時、改めて偉大さを感じた」といっていた。

そんな彼女は私には雲上の人。何か申し上げるような立場では全くないが、こんなに緻密に誠実に踊れる人なのにもっともっと轟く知名度があってしかるべしなのに何かがそれを阻害しているとするならば、「はったり」や「我こそは」という野心だろうと思う。

「ド厚かましい人」と言い換えることができる人種と彼女は遠い。
彼女を評して「天女様のような人」という人もいる。
時折、「おや、あなたはもっと攻めて踊らないのね」という厳しいキリリとした表情を見せることもあり、けして優しいだけのフニャ子でないことは確かだが、基本的には慈悲観音のような人柄だ。

「誰よりも私が一番」という自負心が野心となってド厚かましく「我こそは」と主張しない良さと物足りなさのどちらを取るか?  それを考える間にどうか、お年を召しませんように。ファンとしてはそれを願うばかりだ。

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# by yoshi-aki2006 | 2024-03-11 00:53 | ビジネス | Comments(0)