私の曼荼羅思想
2009年 05月 31日
よく務めていると感心する。
そういうときはほめたたえる。会社の社長に報告しておく。それが年上の人間の務めだと思う。
一方、何かを教えられるはずと、その見事な若者に己のこだわりを教え込もうとする年かさの人間がいる。
「教えたがり」
これは年かさの世代が陥りやすい誘惑。
年かさの人間は埃にまみれた己の醜悪さを若者の澄んだ心の鏡を通して見つめる勇気がないとなと思う。
子どもから教えられたり、若い人から教えられる。
目を凝らしてその機会をとらえようとしないと。
自戒とともにそう思う。
相手の言っていることとやっていることをよく照らし合わせる。
やろうとしていることは?
今までしてきたことは?
その、相対価値は?
ジッパーをしめるようにつき合わせていくと対象性の破れに出会う。
どのような種類の破れなのか?
それを考えてみる。
整合性のなさの中身について、いかがなものかと思う相手とは仕事しないにかぎる。
そういう人のいうことを聞かないに限る。
そういう人とかかわりを持たないに限る。
こうしてはじかれていく先にある私の未来。
私が思う曼荼羅思想。
若く見事な若者に目を向け、さわやかな人々に目をむけ
トリモチに足をからめとられないように歩いていこう。
よきものの待つ曼荼羅のらせん階段を一歩ずつ。
by yoshi-aki2006 | 2009-05-31 09:58 | アンテナ | Comments(0)