ぬかるみに腐らず
2009年 06月 26日
今まで年収が多くて優雅だった外国の金融機関や投資会社にいた業界有名人が、わずかな費用のことにものすごく敏感に反応する。
たとえば会合で支給される交通手当て。
これまで、そんなことが話題になることはまったくなかったと思いますが、「くれんのか? いくらやねん?」みたいな。
えっ? ファーストやビジネスクラスでの移動があったりめい~だった人がそこまでむき出しに交通費のことをいうか? と驚きました。
ま、人生は転がる石のごとく。
金がなくなれば恥も外聞もなくなるってことですかね。
人は金で変わるよなーという実例をこのところ続けざまに見聞して、自分の思い込みで人を見ては間違うなーと思いました。
でも、どうしてか相手をいい人に思いたい。自分と心がつながっていると信じたい。この人と腹蔵なく笑いたい。
相手と自分の利害に関して、互いが互いの欲の収め方に対して信頼感が持てる。
その品がいい。ほどが良い。そこまでなら「公」としてオッケーだよねということが共有できる・・・。
そんなふうに最近、人と交流できていないなーと思います。いい人のことはきっとすーっと忘れてしまうんでしょうね。そして、
オレの雇用を保障してくれる人にごますりすり→雇用を脅かすヤツは敵だ、邪魔だ、いなくなるように排除しよう。
オレを引き立ててくれる人にごますりすり→人は自分の引き立て役としてのみ使う。役に立たないヤツとは口もききたくない。時間の無駄。
出世に役立つことには関与関与→出世に関係ないことはどんな問題もスルー。
オレの徳になるチャンスは逃さない逃さない→人のお困りには鈍感。
そういうしょうがない例ばっかり、見て気にしている。
それはきっと、そういう残念な要素が自分の中にもあって、だから気になるのではないかと思います。自分の中にそういう要素がなければ、たぶん、引っかからないんだと思う。
そして、気にすることで何かに問われているんだと思うんですね。
孫氏の兵法では「人とはそういうものだから、分かって使わないとね」と。
相手はわかってくれる、なんてのは甘い幻想と。
だから操作しなくっちゃと。
そういうマネジメントの道もあると思います。
しかし、私はそんな能力はないです。
ただ、一つ、残念な例に、「人にこういう思いだけはさせたくない」。それを念じることはできます。
飲み会などで明らかに勘定のバランスが悪かったとき、私は「ああ、このお金をもっと困っている人に役立てたかったなー」と強く思うことがあります。だから年下の人とのみに行くとき、自分がイニシアチブをとれる場合は絶対に勘定バランスの悪い支払いはすまいということを肝に銘じることができます。
そのことを学ぶレッスンだったんだということで痛い経験を飲み込む。それで残念な経験をプラスに変えていく。自分の糧にする。過去、自分が人にそう感じさせたことがなかったかを思い出す。そして、そのときの相手に改めて感謝を念じる。
今の自分が感じている残念な思いの中にも光るものがあります。リーダーシップの欠如がもたらす現場の混乱。操作主義で現場の人を不幸な状態にして平気なリーダー。そんな群像の中にキラリと光を与えてくれる人がいる。経験の中でその光を見たことが、私には意味があったと思います。
そして、人を不幸にするリーダーとそうでないリーダーの違いを考える糸口ももらえているのです。
ま、無駄なことは何もない。
事象から汲み取ることをいとうまいと思いますねえ。
ぬかるみに腐らず。
一歩でも光のほうへ。
by yoshi-aki2006 | 2009-06-26 05:30 | アンテナ | Comments(0)