一年前の自分

Dさんはアラウンド私と同じ年恰好。
会社を経営されている「しゃっちょ」さんです。
そんなDさんと私は一ヶ月に1~2回、勉強会で顔をあわせます。

そして、「あー、一年前の私だ」とDさんを観ていてそう感じるのです。
まず、勉強会だからみんな忌憚なく意見をいい合う。
一年前、私も結構発言していました。
が、KYになることも多かったのです。そのときは分かりませんでしたが、今はDさんが身をもって示してくれています。教室で社長をやってしまう。
私も一年前は教室で「センセイ」をやってしまっていました。

しかし、その場には期限付きで文書を仕上げなければならない人もいる。
そんな人にとっては、教室の「社長」や「せんせい」の不規則発言でなく、ちゃんとした先生の話を聞きたいわけです。

今、自分が「仕上げなければならないもの」を抱えて教室に行くわけですが、「しゃっちょ」が会社の社長室にいるのりで発言するのを時に「KYだなー」と感じてしまうことがあります。

そして一年前の自分を思い出します。
一年前、自分も平気でKYでした。

ちょっと年かさの人がフラットな場所で疎んじられる1つの要因は自分の知ったこと、培ったことを自分の個別のスタンスでフラットな場所であるにもかかわらず、
自分のそれまでの人生で獲得したステイタスにのっかって発言してしまうことでしょう。

これで若者に反発されてしまうんです、きっと。ババー、ジジー、だまっとれと。

このミスマッチを何とかするにはできるだけ話すときにうまく船を出さなければならないわけですが、私なんかは出たとこ勝負におばさん喋りをしてしまうんですよね。

ま、順番にいろいろ勉強していくしかないんですが、それにしても神様はすごいなー。ちゃんと鏡を用意してくれるんだもん。鏡を見て、自分の身だしなみを質していくしかないんだよね。

Dさんも来年、自分に似た人と出会うことでしょう。えへへ。
Dさんからはもう1つ、自分を見つけました。
ビジネスの戦場から教室という敵の少ないフラットな社会に来た当初、ものすごく緩むんですよね。ほっとする。で、若くなった気がする。
楽しくなる。ラクになる。
その緩み方が端から見ているとなんか場違いな感じがする。
どうしてでしょう?
きっと私もいろいろと観られているでしょうね。

自分のことは人を通してしか観られない。
厄介だけど、だから、人は人を求めるのかもしれませんね。
いろんなことを学ばせてもらっています。ありがとう。

by yoshi-aki2006 | 2009-11-26 15:41 | 人間考察 | Comments(0)  

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