有事に人柄が現れる

知り合いが相次いで参議院選挙に出る。
次々と励ます会のお誘いが来る。

ふーん、出馬するんだ。
なるほどー。
まあ、向いているかもしれないなあ。
結構、いい線行くかも。

などなど感想を持ちつつ、パーティに行くべきか、どうか考える。
行ったところで大勢の中の一人。
結婚式や葬式などの個人との付き合いベースのものでもないし。

しかし、行かないというのも義理が悪いような、友達甲斐のないことのように思える。

そもそも、どの党から出るんかな?
なんの記述もないから無所属?
それとも?

そんなこんなしているうちに返事しそびれてしまう。
選挙といえば、私の所属している3つのNPO法人の一つでも選挙がある。

解任された前役員が納得いかないと起こした法律沙汰。

どうして最高意思決定機関の理事会で決まったことを法律に訴えてしまうのか?
話し合いで解任の理由を聞いて歩み寄れば、もっと早くに大勢の公益が図れたのにと残念だ。
それほど未練がましくしがみつく役職とも思えないが、様々な経緯があって、6月の総会で選挙によって評議員を選び、その中から理事を選ぶ段取りとなった。

各自その準備に追われているようだ。

多くの人から、「いきさつも分からないのにどうして選挙ができるのか不思議だよね」と話しかけられる。私も同感で、経緯の開示を条件に選挙導入を賛成したが、理事長代行に来ている人は詳細開示の気持ちがないようだ。
開示すると都合が悪いことでもあるのかな?

こうした中、できるだけ、世知に明るく、公平で評議員の地位を私利私欲に用いない人が評議員に選ばれればと私なりに人を推薦する。

ところで。

こうした有事に、平時には見えなかった人格、人物像、腹のうちが透ける気がする。

解任された側が勝つか、解任したほうが勝つか、どっちの応援もせずに勝ち馬に乗ろうときょろきょろしている人もいる。

平時ではそうしたスタンスも許されるかもしれない。
が、今は有事だ。そうしたやり方は、どちらが勝っても居場所がなくなる。奇麗事でうまい汁を吸おうとする人は見透かされる。
まさに器量が問われる時だ。

ひょろひょろと甘い考えで、評議員を名誉職のように錯覚している人もいる。
「いやー、知り合いに薦められて、えへへへ」と頭を掻く人。
何の事情も知らされず、知ろうともせず立候補する人がいる。
信じられない。

「なんとしても!」とたつ人こそ、徹底的に応援だ。
その決意を聞かねばならない。
そう考えると
NPOの選挙もさりながら、参議院選に出る人のパーティにも行かないとね。

というわけで、すべての誘いに「うかがいます」と回答をする。
返事が遅くて相手はさぞ、友達甲斐のないやつだと思ったろう。

イエスかノーか、はっきり返事を即効で返すのが、有事の礼儀。
有事にこそ友達甲斐のある輪に私も加わる。

by yoshi-aki2006 | 2010-04-15 23:39 | アンテナ | Comments(0)  

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