すべては人が教えてくれる
2011年 03月 05日
姿勢が悪いとか、
話し方がイマイチとか、
装いが、品が、とか。
いろいろ課題を抱えるものの、どう改善したらいいかわからない。
最近の私の課題は自分の話と相手の話のバランスについて。
相手の話を聞き、そして自分の話も聞いてもらう。
このバランスを上手にとりたい。
教師役を買ってくれるのが老親です。
「もしもし」と電話すると、こちらの用件を切り出す前にばーーーーーーーーっと30分くらい、自分の話をする。しかも微に入り細に入り、
そんな冷蔵庫の煮豆の数についてまで知らんわ。
しかし、老親は時系列で自分がどうしてこうしたかを話さずにはいられない。
かっこつけていうと「抽象化」がまったくできなくなっているんですね。
「料理の味付けは難しいわ」とさらっといえば共有できる空間が生まれるのに、
「しょうゆをね、多く入れすぎちゃったの、というのもアナタ、かくかくしかじかで」
この話で10分。愛犬がご機嫌だったのどうだったので10分。孫がどうしたこうしたで10分。
「あのね、もしもし。えーっと何か用事があったはずだったけど忘れたわ。後でかけなおすわ」
とまたかけると「私物語」の洪水が受話器からあふれ出すという始末。
あ、でも、これ、私もひょっとしたらやっているかも。
老親は先生役を引き受けてくれてありがとう、そう思うことにしました。
そして、別のある日。
イタリアンでランチすることになり、女性数名と。
とてもピンシャンとしているA子叔母。
しかし!
あ、私もいつかA子叔母みたいになるかも、とはっとしました。
お店の人が料理を説明してくれている最中も、荷物の整理が気になるらしく、まったく上の空で紙袋を折りたたんだり、ナイロン袋をしまったり。整理整頓好きで物事をちゃんとしたいという几帳面さが加齢とともに際立つあまり、目の前の異空間をこれまた人と共有する感覚が後退してしまっているようで・・・。
「いいお店ねえ」
「あら、あなたお久しぶり」
「今日はいいお天気で気持ちいいわ」
ちょっと優雅に皆さんと会話を楽しめばいいのにさあ。
でも、これも、私にも言えることかも。
目の前は春だよ。
春の風を心に入れようよ、と。
秋に知り合いがくれた球根が芽吹き、花をつけています。
春告げ花のクロッカスはそれを教えてくれているのかもしれない。
みんな人が教えてくれることですね。
そうそう。年配者との会話には特に教えられることが多いです。
身をもって教えられる
加齢による行動の硬直。
それとは別に加齢とともに見ている時間の長さが違うから年上の人の智は、因果律を踏まえていて示唆に富んでいます。
たくさんの人と会い、いろいろ教わる。
まだまだ寒い春ですが、出かければいろいろなヒントが!
今月は一段と出張講演が多いのですが
さまざまな出会いによって磨かれることを楽しみにしています。
by yoshi-aki2006 | 2011-03-05 08:16 | アンテナ | Comments(0)