ソーシャルネットワーク時代の過ごし方
2011年 06月 06日
かつてははっきりしない部分もあって一生勘違いしたままいけた道も
今ははっきりわかる。自分がみたくないのか見えていないのかまで。
ネット世界も使い手が人である点でいろんなことがよーくわかる。
頭のいい人、調子のいい人、厚かましい人、腹黒い人。
のんびりした人、中途半端な人。
全部、ネットの軌跡で透けて見えるだけに、つくづくいろいろ考えさせられます。
誰が敵か味方か。
もともとこっちは敵でもなんでもないと意識していなかったのに、ひたひたと背後から迫ってきて、人が大切にしてきたものをかっさらっていこうとしている人に遅まきながら気が付いて、その人を初めて自分の敵と規定することができたのはネットの足跡からです。ネットの足跡を見ていくとすごくその人の戦略というか欲望のありどころがわかりますね。
これは野心のある妙齢の女性にも見かけますが、いい年をした年上のおっさんもいて会社員生活で守られてきたことも忘れてフリーで女手一つで築き上げてきた私なりの仕事の道筋やささやかながらの信用という財産を利用して自分が浮かぼうと虫のいいことを考えている。
味方はこれまで遠からず近からず、私のことを温かく見守ってくれている人で必要な時に助けてくれる人。あるいは共通の敵がいて連携していることが利益直結になり、オールの漕ぎ手として互いを信頼できる人。
人が何を考えているのか。
その人が自分をどう見せたいのか。どう持っていくのか。
何に価値を置いているのか、どうレバレッジを使っているのか、影響力の武器は何なのか。
多少の誤解や思い違いはあるにしてもこれだけ透けて見えるのが実におそろしいといえばおそろしい。
相手の戦略や影響力の武器を見破るには相手がひっかかる言葉や使っている言葉と映像を注視することです。赤ちゃんの気持ちで見れば見えてくるとも思います。そうして素が見えない人を私は信用することができない。
また、自分が相手にどう見えているのか、で相手の不遜さ、謙虚さ、畏れ、意識度などもよくわかります。
こっちはお嬢ちゃんと思っていたのに向こうはこちらを下に見ているとか、
こっちは向こうを神(?)、くらいに思って畏怖していたのにあっさり受け入れてくれるとか。
にっこり輝く笑顔にだまされていたけど(?)、かわいい顔してこの人すごいなとか。
そして、そう思いつつも、年の功というか、フン、そんなことしてると今にドツボにはまるんだってという因果律がもたらす先々まで見えてくるような、また、見えてくると思うことで自分を御しているような。そのドツボがきっとあるのに、忠告するいい人のスタンスをとることで返って自分が負けを認めるような。忠告しないほうが返ってフェアで粋なような。
そんなふうに思う自分に飽きてきた時が怖いな、もはや興味関心が持てることと出会えるかなとか考えます。そうなったときに人はきっとうまい具合にボケるんだろうな。
ずっと、クソッ! という感情を封印してきましたが、いろいろなことが手に取るようにわかってきて、久しぶりに、なめんなよ
てな感情を覚えました。
いやー、面白い。ずっと品よくいい人でいようとするから生きながら死んだようになっていたんではないかなとも思いました。
ソーシャルネットワークと付き合うことでいろいろなことが自分で確かめやすい楽しい時代になったと思います。マスコミでマスに洗脳されるリスクを軽減できる、あるいは洗脳をも客観視できるのはソーシャルネットワークのさまざまなツールのおかげです。
楽しいというより楽しめる時代っていうほうが正確ですかね。
by yoshi-aki2006 | 2011-06-06 09:48 | アンテナ | Comments(0)