日本の惜しいところ~日本の強みと弱みを考える

海外に出ると否が応でも日本人を客観視する機会に直面します。

今回感じた日本の惜しい所をランダムに上げていきますと。

日本は昭和一桁、団塊、その子供と三世代が日本の成長を体験し、それなりに金持ちです。
正月、高い値段にもかかわらず家族で海外に出かけられるだけのお金がある人たちはこの低成長の日本でいわゆる勝ち組に属している方たちといえるでしょう。

彼らの中には飛行機の席もビジネスやファーストクラスを利用される方が少なくありません。


しかしながら、英語の読み書きが十分でないとか、プライマリーなお客さんに対する国際サービスの利用慣れをしていないために(これも英語能力と関係があるように思います)、スタンダードクラスと同じサービスカウンターに来てしまったりする。

もちろん、それはお客さん側の問題だけでなく、海外で航空会社が日本語で案内していないことが根本的問題だと思います。

しかしながら、私はここに日本の惜しいところを感じるのです。
どうしてお金を多めに支払っている本来なら上客であるはずの日本人客が英語表示の世界のなかでまごまごしなければならないのか。

それには日本の英語教育を振り返ってみる必要があると思います。
日本の英語教育観には大いなる計算違いがあったと思うのです。
国際社会の中で英語がわからないことがどういうことかあまり意識してこなかったのではないでしょうか。

そのツケがここにきて大きな開きとなっているように思います。
世界のシステムが日本語を組み込んだものをスタンダード化してくれる保証はこの先もありません。

なので英語力は絶対にもっともっと必要です。

中国は国民の数が多いので、彼らが大旅行者となって今後世界を歩き回れば、中国語表記はさらに増えると思いますが、日本人は今後、人口が減っていくわけですし、数の面でもお金の面でも地盤沈下傾向が続きます。

なので自戒、反省も込めて英語能力をもっともっと身につけるべし!
そう思いました。

もう一つはグッドマナーの実践とそれを支えるポリシーの欠如です。
日本人一人一人はみんなそれぞれに素晴らしいと思います。

しかし、シンガポールで親切にしてくださった人はピューリタンだったり、仏教だったり、イスラムの戒律にしたがっていたりして、それぞれが人として成すべき行動の核心を支える「神」=人として正しいことを成そうとする考え方の母体を持っていました。

日本人はどうか?
ナショナリティも日本人としてのアイデンテティも人として生きる上でグッドマナーを日々実践しようとする核心みたいなものも、どうも、ふやふやとしているのではないでしょうか。

グッドマナーを実践しようとする考え方の核心=そうすることがいいことなのだと信じられる何かを持てないのは人として昏いことです。

そういうことを考えるきっかけとなったのはある家族を見て、でした。
「ああ、こういう子供の親になりたくないなあ」と思ったのは、飛行機非常口付近の座席はほかの座席より足も存分に延ばせるし、モニターも目から放して見ることができ、有利な席ですよね。
ここには高齢者や赤ちゃん、子供を同伴している人に利用してもらいたいというはっきりしたポリシーを打ち出す航空会社もありますが、帰りの共同運航便ではそうではありませんでした。

私はその座席のすぐ後ろに座ったのですが、前の人が「いいですか」でもなくいきなり座席を思い切り倒してきたので一体どういう人かとしげしげと覗きこんでみました。
前の座席にはうろんな眼をした若い大学生風の男性で足を投げ出して横着な感じで座っていました。

その横の席には私世代と思しき母親でそんな息子に愛しそうに話しかけています。その隣には別の息子、そしてその隣には会社員か公務員(学校の先生かも?)風の父親。

この座席を指定するメリットを知っているこの家族の誰もが、後ろの人に配慮する気持を全く持たないで一斉に同じように座席を思い切り倒して当たり前な顔をしている。
こういう人らが日本社会でそこそこのポジションにつけていて消費社会の中で「お客様=勝ち組」でいる、そういう社会構造がなりたっている今の日本に残念なものを感じました。

お行儀が悪くても仕方なかろうという無教養丸出しのいかにもな感じの人らでなく、それなりに学歴も職歴も生活者としての日常も破綻なくやってるらしい人らにグッドマナーを支える他人に配慮する心が欠けている。こうした消費者へのサービス提供をしている私たち日本社会の質は果たして「いい社会」なのだろうか? そんなことを考えました。

グッドマナーで他人を思いやる、そんな人たちが多い社会になったらもっと日本は素敵な国になるのになと思いました。

さて、グッドマナーや言葉以外に何が助けになるかというと、感謝と笑顔です。
目が合うと笑顔で返す。
微笑む。
ありがとうという。タイのように両手を合わせてみたり、会釈したりする。

このコミュニケーション方法でたくさんの現地の人とお話しができました。
スーパーのレジ打ちの女性。息子が海外留学先から帰ってきているのでその息子らのための食材を買い出しに行くのだというお母さん、インドの美しいサリーをまとった女性たち、ホテルの従業員、タクシーの運転手・・・・。イタリア人夫婦。アメリカ人夫婦、施設の遠足で来ていたシンガポールの高齢者のおじさん・・・・。モンゴルのビジネスマン。マレーシアの人。
微笑んでも奇妙な顔で黙殺する確率が一番高いのは日本人かもしれないなとも感じました。

まだ、豊かだから「し~らないっ」で、やっていける。
でも、いつまでもそうではいられない。

まず、自分から「惜しさ」を解消していきたいと思います。

by yoshi-aki2006 | 2013-01-06 13:25 | アンテナ | Comments(0)  

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