金子兜太さんの素敵な言葉~他界は「他」「界」でまた会える!

ラジオを聴いていたら、俳人の金子兜太さんのご講演が流れてきた。
聞くともなしに聞いていたら、金子さんは70歳代から毎朝、亡くなった知り合いの名前を一人残らず唱えるのだそうだ。立って、名前を唱える。名前を忘れることもあるけれど、その時はノートを観たりして、思いだし、唱える。

それをすることによって他界した人と「他」の「世界」でまた会えるだろうと思うそうだ。
戦争などでむごい死に方をした人や止むにやまれぬ事情で亡くなった方についてはお考えがあるようだが、そのご講演を聞いて、「いい話を聴かせていただいたな」と思った。

ご存知の方もいると思うが、金子さんは証券業界ともまんざら関係なくはない。日本銀行在職中は証券局にお勤めだった。
朝日の参考記事

さて。

死によって「はい、さいなら」と、そこでぷっつりと現世のかかわりと絶対的な別れになるではないというのはこの頃、つくづく私も感じる。

人生とは「魂の旅」の一過程である、とも思う。

魂はある時は魚や木や男や女の姿をかりて果てしない旅をしているのだろうと感じる。

私たちは「忘れる」ということを体に仕組まれているけれど、時々、初対面なのに、ずいぶん昔から知っているような懐かしい感じがする人や、とても他人だったとは思えない人と出会うことがある。

そういう時、口には出さないようにしているけれど、きっと昔々どこかで縁があったんだろうな、と思う。
エジプトに行ったとき、「うわっ、絶対むかーしに私、ここにいたなー」と感じたし、
小さい頃は前世の思い出だろうか?
寝床に入ると枕元にいつも同じ人がいるようで怖くて仰向けに寝ることができなかった。
あれは忘れたはずの前世の記憶ではないかと思う。

金子さんのご講演放送を聞いて、「そうだ! 他界した人とは他の世界でまた会えるんだ!」との意を強くした。

自分が信じていることを信じられる自分でいよう。

そう思っていた時に聞いたお話しだったので、意を強くした。

金子兜太さんは1919年のお生まれ。放送の中で92歳とおっしゃった気がするから2年前の収録だったろうか。

お声も発想も思考力も矍鑠とした感じで、すごいなあと思った。

俳句を詠み、毎朝、別界の人々の名を唱えて気持ちを届けている人の持つ強いエネルギーに触れ、なんだかとてもよかったなあ、こんな講演をきけて・・・・。

こうした偶然にも意味があるのだろう。

魂がどの人の生に宿るかもきっと偶然なんだろう。

偶然、宿った先の人の生で私たちは各々、宿題をやり遂げようとするのだろう。

「我」が「これは私の人生だ!」と肩ひじ張って主張すると魂はきっと宿題を完遂することはできないのだろう。

ああ、いろいろ考えると本当に面白い。
金子兜太さんの俳句も是非、読んでみよう。
いろんなヒントが得られそうだ。

by yoshi-aki2006 | 2013-03-25 01:46 | 感謝 | Comments(0)  

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