消費増税へこみ回避のサービス合戦の現場で
2014年 04月 03日
店頭には思いがけず安い商品の提供があり、「しぶしぶ買いに来ちゃった」と内心思っていても、「来てよかった!」と気持ちが変わる!
安く見える売り方もばっちり研究されていて、それなりに気持ちをそそられます!
よくよく考えると実はそう安いわけではない品もあるけれど、 「ま、いっか」と
それに気がつかないふりして買ってしまうことになります。
雨の日は店長みずから店頭でナイロン製・傘袋の手渡しや傘の水気をタオルで拭いてくれたりの大サービスも。
「消費増税でへこんでたまるか」という、そうした涙ぐましい姿に「がんばっているなあ!」と感心し、「ま、そこまで気を使ってくれるなら・・・・」と鷹揚な気持ちで買い物してしまうわけですね。思う壺なのかなあ
が、そんな現場に乗じて、行儀の悪いお客さんもみかけます。
傘で店のごみ入れを倒してしまったのに、しらーん顔して元の位置に直さないお客さん。
ものすごく派手な音がしたのに、まったく元通りに直すそぶりもないので、びっくりして、しげしげとその人を見てしまいました。
20歳代後半か30歳代手前の化粧気のない、でもしっかりちゃんと長靴とかハーフコートはそれなりに着こなしていて、そんなにひどい生活レベルではなさそうな感じの(ということはそういう品を手に入れられるだけの稼ぎがある→ということはその稼ぎを可能にする程度のインテリジェンスの裏打ちもそこそこは持ち合わせているんだろうと期待してしまうのに、フンてな勝ち誇った表情すらうかべて、知ら-ん顔して商品をレジ袋に詰めている・・・・。
つまり、そういうお客さんは「私はここで買ってあげているんだから、そういう始末って店の人がすればいいでしょ」ってな感覚なんでしょうかね?
お客様、お客様と商売人が相手にへりくだるから、お金を支払う側は人間としてのマナーに気がつくことができないまま、成長しないまま、エラソーになっていくんでしょうかね?
消費増税後のサービス合戦の現場でそういう光景を観て、複雑な心境になりました。
恐ろしいよなあ。
こういう感性の人が消費生活の現場で「客」であるって。
消費者だって売り場の利便性に助けられているはずなのに。
自分が倒した店の公共財を「これを元通りにするのは店の仕事」と決めつけてかかっている地味だけどふてぶてしい若い女性の姿にいったい何様だろう???と思いました。
さて、そうした傍若無人ぶりの極め付けをビートたけしさん主演作「血と骨」の主人公に見ました。
(画像はアマゾン・サイトより転載)
物語は観てのお楽しみとしておきますが、この映画を見た今日と見なかった今日とは違うと思えるほど、衝撃的な映画でした。
ここまで傍若無人な人が出来上がるにはどんな物語があったろう?と映画に描かれない世界を想像せずにはいられませんでした。
映画は「人生も実はこの物語に似た構造ではないだろうか」という問いかけをこちらに投げかけて終わります。
若き日、象徴的な白い服装で青い鳥を追うように山のあなたの空遠く、はるばるやってきた少年はやがて己の欲望と暴力と金しか信じない恐ろしい怪物に変貌していきます。
人の涙と汗と血を吸った財を投入した先で迎えるその人生の終末は・・・・・。
オダギリジョーさん祭りの一環として見た作品でしたが、過剰サービスが傍若無人な消費者を醸成してしまうように、主人公演じる怪物の血と骨になる環境を作った社会の怖さを思わすにはいられませんでした。
さて、オダギリジョーさんはこの作品で数々の賞を獲得(賞の詳細はウィキペディア参照、引用転載)。
日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞(2005年)
石原裕次郎新人賞(2004年)
東京スポーツ映画大賞 助演男優賞(2005年)
キネマ旬報ベストテン 助演男優賞(2005年)
演技力という点では10年後の今のほうが深みが増しているといえますが、存在の輝きという点ではそれはもう、ものすごく素敵で、光り輝いていました。
特に煙草を吸うシーンと物干し台から銃器を構えるシーンは秀逸で、役者としての爆発的な可能性を感じずにはいられませんでした。雀監督もオダギリジョーさんの魅力を十分よくわかっておられて、「ホラ」といい感じに見せてくれます。
もちろん、凄みのあるこの役どころはこの人以外にいないと感じさせるビートたけしさん、こんなにきれいで色気のある人だったかと再認識させられるにおい立つ美人の鈴木京香さん、哀しさを淡々と醸し出す田畑智子さん、そして、この映画で名前を覚えた中村優子さんもとても素敵でした。
まだまだ観る観るオダギリジョーさん出演作。
また映画評を書きたいと思います。
by yoshi-aki2006 | 2014-04-03 22:55 | アンテナ | Comments(4)
コメントありがとうございます!
そうですよね。
なんか、薄いというか、豊かではないというか、
「あー、私ったら倒しちゃったー」みたいな感じで元に戻せる人のほうが人間的にチャーミングだと思います。
チャーミングな人であるほうが素敵だという価値観より、
損得、上下、効率的かどうかが優先順位として上なんでしょうかね。
「ひと」が醸し出す雰囲気が少しずつ変質していっていると思います。
また、ご意見聞かせてくださいね。
「血と骨」の主人公とモンスター消費者の行動が重なって見える木村佳子さんの感性って深いですね。この問題は社会の底流に流れている眼に見えない流れが、湧水のように表出したものなので根が深いと思いますね。僕の経営体験の中にも顧客満足(CS)を経営環境としてルールに加えたのは1990年でした。当時強調したのは、それを裏打ちする社員満足(AS)でした。満足を知らないものが満足を売れるはずはないからです。ところが現実の社会は派遣労働、契約社員、単純な目先の成果主義等々賃金をコストとして削ることで弱いものへ、より弱いものへとモグラたたきが日常化してしまいました。その行き着いた先が消費税増税ですからね。その無意識の底の不満が、「お金を払った途端」モンスターとして表出するのではないでしょうか。
嘆かわしいのは、現場力が衰えている場合は、顧客に致命的なミスをしてもモンスターカスタマーやクレーマー対応のマニュアルに従って、詫びる能力が欠如しているケースもある点です。
人の質的変化(多くの場合は劣化)も見逃せない現象ですね。