そういうことだったのか! 本能寺の変
2015年 06月 03日
織田信長がいた世界といない世界ではまったく違うことを思うと残念でならず、織田信長が戦火を逃れてジンギスハーンとなってモンゴルや中国で活躍したというロマンや明智光秀の器についていろいろ思いを巡らせるわけですが、今一つすっきりしない思いがありました。
それは、信長ほどの人物が何故、お小姓たちだけで本能寺に宿泊していたのかという点です。
天下にもはや自分の敵はいないという慢心?
おごり高ぶり故の油断?
信長らしくない・・・・。そんなことはありえない。
ずっとそう思っていました。
本能寺の変を歴史で知って以来、何かしっくりこないものを感じていたところ、この本を読んで「なるほど、そうだったのか! そうであろうとも!」と思いました。
結末を書くと読む楽しみが半減するので控えますが、信長は自分の策略によって寿命を縮めてしまったのですね。
策士、策に溺れるといえばそれまでですが、明智氏の末裔である著者は、「自分の子供の代に厄介なことになりそうな芽をのぞいておこうとするのが親心」とその策略について述べておられます。
戦国時代というのはそれほど過酷な世界であり、親は親、子供は子供という今の時代とはまったく違っていたわけですね。
親の慢心や無責任、不始末が子の世代に厄介事を生み、お家断絶の悲劇にだってなった時代には一人ひとりの責任ある行動が強く強く求められたわけです。
だから信長は行動し、そして、やはり同じ思いの明智に討たれた、と言えるかもしれません。
自分が信長であればどうしただろうか?
明智なら?
家康なら?
秀吉なら?
どう行動すればお家は安泰だろうか?
それを考えてみるのも一興です。
それと、本能寺の変はその後の勝者が作り替えた物語になっている点にも驚かされます。
思い込みって疑ってみる必要がありますね。
信長が油断していた?
明智光秀が「おのれ、ゆるさん」と逆上して主君を討った?
何故、秀吉は明智を討てた?
秀吉と家康、どちらが勝者?
家康という人物。
千利休はなぜ切腹した?
思考訓練は相場を考えるのにも役立ちますし、今の日本の過ぎし来し方を考えるヒントにもなります。
たとえば中国のスプラトリー諸島での軍事拠点作りについて、中国側とアメリカ側の考え方を視点を変えてたどってみるとか。
これは考えれば考えるほど面白いテーマで、自分たち世代、子供たち世代にも拡張するとなおさまざまなストーリーが考えられます。
すると投資に対する考え方の参考にもなります。
個人の消費満足追及主義とは全く異なる戦国時代の人々の行動規範。その大名たちの息づかいに触れることで視点を拡張する機会が得られ、読んでよかった一冊でした。
さて、相場も歴史と似て、
おもろうてやがて哀しき相場かな、という部分がありますので慢心しないで付き合いたいですね。
by yoshi-aki2006 | 2015-06-03 16:14 | アンテナ | Comments(0)