失われ行く公共感覚~自己利益最大化がもたらす私たちの未来

新幹線に飛び乗り、仕事してまた、新幹線で東京。
また、そのまま、新幹線という移動生活が多い日々。

新幹線に乗っている人々の様相も時代時代でずいぶん変わってきました。
明らかに、働き方、住まい方などの影響が反映されていると思います。

昨今の人々の様子を一言で言えば、自己利益最大化人間の増殖です。

こだま、ひかりでは1-5号社まで自由席なので指定ナシで乗ることがありますが、そこで見るのは、ドア直の電源と机確保席に陣取る人々の様子。まず、二人がけ座席の通路側に大きな荷物を置き、自分は窓側にすわり、席を探す人がいても知らん顔して独りで二人分の席を確保している人。

あるいは二人席の窓側に荷物を置き、テーブルまで倒して、自分は通路側に座って二席確保し、おひとりさまを楽しむ人。

著しく公共感覚に欠ける行為ですが、いけしぁしゃあとそういう行為に及ぶ人の脳みその中では、こういう行為によって一種の喜びが生まれているんだろうと想像します。他人をシャットアウトして自分だけの世界確保。席を探す人の「お困り」には一切、かかわらない。ああ、幸せ。やったね。うれしいって感じでしょうか。

彼らは、自由席料金でいわばグリーン車なみの快適さを獲得しようしているわけですが、その行為そのものに大きな満足感を感じていると推察します。
だからこそ、周囲の「なんじゃ、あの人、どあつかましいなあ」という非難の視線に萎縮することなく、いられるのでしょう。
出したお金に対して最大限に「得した感」を味わいたい。
がめつく、貧しく、コスイおひとりさま。

「どのようにしたらこういう人に公共感覚を取り戻してもらえるのかなー」と考える人もいると思いますが、注意しても逆切れされて刃傷沙汰になる例もあることから、誰しも注意には慎重にならざるを得ませんね。

すると、だれからも注意されない、というお得がさらに獲得できてしまえるわけで、やったもん勝ちになってしまいます。

ここは公共性の高いビジネスをしている電鉄、JRなど企業側に「注意アナウンス」以外のもっと効果的な公共マナー向上のための取り組みをしてもらいたいと思います。

自己利益最大化人間が喜んで公共に意欲を持ってもらうにはインセンティブを伴うアイデアが必要です。公共マナーを守れば「得した~」という感じになるような取り組みです。道徳心に訴えても効果がないことは「注意喚起アナウンス」の無力が証明していますもんね。

この分野は十分、ビジネスになりえるので、どっかのベンチャーがビジネス化するチャンスかもしれません。

しかし、自分に火の粉がかかってくる場合は、利害関係者が奮起して注意することも必要です。
今日は隣席の30歳前後の男性がおもむろに爪きりを取り出し、ぱちぱちと爪を切り始め、とんとんと切った爪を窓枠ではたき、さらにご丁寧に爪をヤスリで磨き始めました。そして、白い爪の粉をふーふーと吹いたりはたいたりしています。その息も臭~い。たまらん!

その人の爪の粉末は折々、窓からの太陽光によって、明らかにこちらの鼻先にも漂ってきている様子がわかりました。

なんで公共の場で爪きりなんだろうかな? しかも男子が。

しばらく黙っていましたが、たまらず、「洗面所で爪きりしてください。さ、通路を空けますから、さあ、どうぞ」と促すと、「あ、ほんじゃ、いーです」と男性は爪きりをしまいました。

何がいいんだか。

この人は爪を切ることが「はた迷惑」を上回る価値を持つ行為だったんでしょうね。

いじめ、虐待、昨今の狂気の沙汰の事件の数々も、する側の「自己利益最大化」をキーワードに解析すれば、ああ、なるほど、とわかることが多いように思います。

しかし、人を人とも思わない人の増殖は結局は社会の損失です。お互いに気持ちよく過ごせる社会が私たちの財産です。

戦後70年。三世代戦後生まれの社会階層が形成された今の日本。
自己利益最大化人間、お得感を満喫することだけがうれしい人の増殖が商業振興のダークサイドの産物とすれば、失ったものを取り戻す社会的な取り組みがあってしかるべし。

自己利益最大化の国際版が戦争なのだから。

集団的自衛権よりももっともっと審議し、整備しなければならない社会構成要素の不足。

失くした公共性を一人ひとりが取り戻せる取り組みを今こそ、国家事業としてやるべきときではないかと思うのですが。

ところで、集団的自衛権の強行採決と株高。

何か不思議な組み合わせ。
ギリシャ問題、中国バブル崩壊騒動後のこの株式市場の様相に、ものすごい違和感を感じるのですが。

by yoshi-aki2006 | 2015-07-15 10:29 | シンキング | Comments(0)  

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