恐ろしいことに人前ではその人の丸ごとが全部でてしまう!

ここのところ、延々と出張が続きます。
日本海側はとても好きな地域ですが、交通手段が限られており、電車の本数も少なく、行くのも帰るのも緊張します。
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帰りは飛行機に乗り遅れまいと早朝に起きて、タイムマネジメントにとても気を使いました~!
景色は素敵なんですけどね。
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ところで人が掃除できる砂浜はきれいなのですが、崖が切り立って人が下りられない場所には韓国? それとも中国?からなのか漂流物がたくさん流れ着いていました。

ベトナムのハロン湾の汚れ方もすざまじぃものがあると報道されていましたが、中国などの発展が日本海側の環境に影響しているのかなととても気になりました。

この日は貨物列車が災害の影響でこの駅に久しぶりに通るというので撮り鉄さんが何人かいらしていました。

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さて、一時間に一本あるかないかの電車にゆられ、海を見ながら、しみじみと、
仕事があるということはうれしいことだなあ、と感謝し
話を聞きに大勢の地元の皆様が来場してくださるということは実にありがたいことだなあ、と思う一方、
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話をする以上は責任が伴い、
プロである以上、結果を出さなければならないという重責があり(つまり見通しを当てる、銘柄を探してお話しする)
その準備、調べ事も講演直前まであるわけで、
さらに講演が始まると、
2時間近く、頭を駆使して言葉で説明し、
ご理解をいただくことの精神的、物理的なものがあり
終われば終わったで、
移動時間の長さ、交通マネジメントにおける緊張が続きます。

そして、出張の間、基本的に「ぼっちご飯」になるわけで
ほかのことはできない移動中の制約も拘禁的に感じられ、

夜などに、「ああ、ひょっとしてちょっと鬱っぽい?」という瞬間があったりします。

そんな鬱々とした仕事過多症候群の中、体幹を鍛えるためにやっているお稽古事のイベントに出かけました。
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行ってよかったです。とても気分転換になりました。

人の踊りもさることながら、お衣装、お化粧、アクセサリーの選び方を観るのは楽しいものです。
へー、こんな色が意外に舞台映えして、効果的なんだなーとか、
やっぱりスカートは何重にもフリルがついているのが華やかでいいなとか、
袖にフリルがあるとこうなるんだという発見があったりして
自分の衣装選びの参考になります。

それと恐ろしいことに舞台の上ではすべてが出るものなんだなあ、ということにもいまさらながら気づかされます。
明るいひょうきんな人気者
あっさりした人
慎重な人
さっぱりした人

すべて出る!

恐ろしいくらいにすべて出る!

バレエの先生が以前、「意地悪な人は意地悪さが出るし、大雑把な人、慎重な人などみんな踊りに出るのよ。全部わかるものなのよ」とおっしゃっていたけど、改めてホントだなあ、と思いました。

クラスが違って、あまり親しくなくてよく存じない人の踊りを見ていて、思わず写真を撮りたくなり、人柄の良さが踊りから伝わってくるものなんだなあ、と実感しました。

また、ハレオといって掛け声があるのですが、イベント会場でいろいろ気がついたことがありました。
思わず掛け声をかけたくなる人っているんですよね。
そういう掛け声を集められるっていうのもその人の持ち味で、人気者なんですよ。

ハレオをかける側の人も様々な情報発信をしています。
どんな人にどんなハレオをどんな時にかけているのか、
職業柄、分析しちゃったりして、忙しいわけですけれども(;^ω^)

そして、こんな分析も。
趣味で踊っている人とプロとの差は何だろう、という点です。
アマとプロは実演の際、ポージングのきれいさ、体がどれほどうまく使えているか以外に、踊り運びにコンマ一秒くらいのタイムラグがあるように思います。
「ため」、というか、
音どり、音に乗っていく差というか、

プロは確信してそのコンマ一秒に乗って体を運ぶわけですが、
アマはどうしても振り付けの順番で精いっぱいになってしまいがちです。
そして、どんなに模倣しても、踊り運びのコンマ一秒の差はまねできない、ということもわかります。
その一秒こそがプロとアマの間にある深い深い決定的な差なんだろうと思います。


顔や容姿+能力+意欲+頭の良さ+人格

生徒を集めて先生としてやっていける人に必要なこの5大要素以外にプロとして一流になる人には

負けるもんかという強い心。そして、それを支える「私こそ一番なんだ」という確信、その獣道を一人で歩きとおす「最後に頼れるのは自分だけ」という覚悟。
「次こそは今よりももっと素晴らしくありたい」「人に価値ある素晴らしいものを届けたい」という向上心。どんな時も己一人で矢面に立つ覚悟。逃げも隠れもしないぞ、さあ、どんと来いみたいな気概。

そのような思いがまねようにもまねられない差の正体かと思います。

この道筋ではあまりにもドM過ぎて、一角のプロにはなるものの、ボロボロになって果てていく可能性があり、ではどうしたらいいのか、というとそこは・・・・なのですが。


届ける相手の心にいかに沿うか? 人の観ているその先にいかに光を届けるか? 一流の人ほどその心配りがあり、だからこそ、こちらの心とのハーモニーが感動を生むわけですが、そうしたある意味、ドMな心配りは「競ってくるブスな心根の人」に踏みにじられることがあります。

証券営業の現場で素晴らしい接客業をしている女性としみじみ、語り合ったことがありましたが
私が、「お客さん業なので、人に対する=あたり=に心を砕くと、お客さん以外のそれを利用する人が出てきますよね」
というと彼女は深くうなずいて、
「接客の技術を磨き、心を籠めれば込めるほど、思いがけない方向から、それに付け込んでくる人が出てくる」
とため息をついていたことがありました。

すごくわかる!  

人(プロ)の領域に後発で乱入してくる元大手の恵まれた会社員などが、制作現場にいた時にさんざんプロの技を盗んだ挙句、さらに貪欲に「先生業」に首を突っ込んでくるがめつい例があるのです。そういう人はドMに現場でお客さんのために努力している人を最大限に利用して、虫のいいことを考えているんですよ。

プロはそういう人をなかなか避けることができないものだけど、でも、虫のいいそういう人につぶされないために、バシッとしなければならないときがありますね。

だから、人に心を配りすぎ、謙虚になりすぎてもダメなんですよね。
しかし、えらそーにしていてももちろんダメなわけで、つぶされないように、つぶれないように生きていくには強さ、しなやかさ、逞しさが必要というわけです。

けして善人一辺倒でもダメなものなんですが、難しいですよ。この裁量が、なかなか。


こんなことをつらつら考える中、私なりに自分を律していくためのセオリーというか、言葉を持とうと思いました。

それは

●民としてどうあるべきか?・・・ 一人の人間としてどう生きていけばいいのか、常に考え行動する。
●臣としてどうあるべきか?・・・ 仕事を持つ以上、フレームがあり、人間関係がある。そして、社会性を要す。こびずへつらわず、どう周囲の人間と接し、仕事を進めていくか。誠実に仕事を進めるために最善の道は何か? 
そして、
●君としてどうあるべきか?・・・すべては一人一人の人に届けていくべき自分の課題があるはずで、それは人に幸せをもたらすものでなければならないはず。その価値あるものを届けていけているか則天去私の気持ちで見まわし、実現に向けて邁進していく視点と力強さを持つ

君としての視点。これからはこの視点を増強していかなくてはならないと思います。


そして、いつもこの3つを自分に問いながら、仕事して生きていこうと('◇')ゞ。

何しろ、芸事でも仕事でも、人様の前に出る人はすべて人に見通されるわけで、
小さな器であれこれ考え行動していたのでは、
スケールの大きな世界を見落としてしまう、と。


というわけで、イベントでとってもたくさんの気付きとエネルギーを頂き、来週は清水、藤枝、札幌に伺います。
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札幌講演の詳細とお申込み画面です


by yoshi-aki2006 | 2018-09-24 03:09 | アンテナ | Comments(0)  

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