ド厚かましさ、厚顔無恥が出世する人間の特徴になってはいけない
2018年 12月 09日
こんだけ素晴らしいのに、どうして有名という点や受賞という評価では差がついてしまうのか、という人もいます。
両者の差は何なんだろう?
とつくずく思います。
「こんだけ素晴らしい! もっと人に知られてしかるべし」と私が思うのは、例えばダンサー。
フラメンコダンサーでもベリーダンサーでもそれは素晴らしい人がいます。
もっと評価されてもいいのに、と彼ら彼女らのダンスを拝見するたびに思います。
どうしてその世界では評価が高いのに、全国的ではないのかなーとも思います。
私が「この人は出世するためにアーテイストという手段を選んでいる」と思う人と、「こんだけ素晴らしいのに、なぜ、もっと知られないのか?」と思う人の差はなんだろう?
一言でいうと、
ド厚かましさがあるかないかだと思います。
ド厚かましい人、厚顔無恥な人、かつ、世間的には「?」と思える人の中に「そうじゃないでしょ、私こそ、一番評価されるべき人なのよ」という強烈なエネルギーを放つ人がいる。
そしてこのタイプの人はすざまじぃ勢いでド厚かましさを発揮し、欲しいものをワシズカミしていくので出世する。
金儲けもうまい。
子供や家族のブランド化にも成功する。
いっぼう、これだけ素晴らしいのに、どうしてもっと評価されないのだろうか、という人は総じて謙虚で勉強熱心。
そして、
「私なんか、まだまだです」
とか謙遜してしまう。
そして謙虚でもある。
そして、こういう人たちは見かけもきれい。
だから、異性にもてる。
すぐ、異性に取っ捕まる。
で、心がその愛にとろけて、出世というより、きれいなオーラを放つ女神様になって、ますます人から愛される。
愛されるから特に飢餓感を覚えず、素晴らしい芸術を構築しながら、世の中で評価されて上っていこうという野心が醸成されにくい。
「憎まれっ子、世にはばかる」という言葉があるけど、
出世して、がつがつ賞を狙い、金も得るわ、そこいらへんのめぼしいものはみんなワシズカミというようなタイプの人は
愛されず、だから満たされず、
故にがつがつと評価を欲しがり、
結果的に出世していく、という構図があるのかもしれない。
美しく謙虚で、謙遜、謙譲、そして一意専心で芸事に精進し、その道では一角の人物でも、いわゆる全国的には知られていない芸術家。
私が愛するのはそういう宝石のような人たち。
彼女はエジプトで行われたコンテストなどでも複数回の優勝歴があるほどの実力者。
なのに、
そういうことをけして看板にしないで、一意専心、素晴らしい踊りを実現させてしまう。毎回、彼女の踊りには感動します。
その踊りのすばらしさもさることながらお人柄もそれは素敵な方なんですよ。美貌だし、声もきれいで、その声を聞いているだけで癒される・・・・。
池袋、高田馬場、目黒などでレッスンクラスもあるので、yukariさんのファンのマダムたちと私もクラスに参加しています。
というわけで、ド厚かましさと厚顔無恥かつ自己チューの勝つまであきらめないチャレンジャーがはびこるエセ芸術家や作品を選ばず、本当に素晴らしいエッセンスをしずくのように受け取る自由を満喫できることができることに感謝です。yukariさんの踊りに改めてそう思いました。
ここでお知らせです。
●12月10日は名古屋今池レオパレスで講演します。
お待ちしています
by yoshi-aki2006 | 2018-12-09 13:26 | シンキング | Comments(0)