意地の良しあしも器量の大小もすべてが出る板の上~人に見られる仕事をする人心得

義母が5か月ぶりに退院しました。
ちょっとしたことで体を痛めてしまい、リハビリにえらく時間がかかってしまったのです。

私は義母の性格から寝間着姿は見られたくないのではないかしら、と思い、見舞いにはいかず、バックヤード担当をしました。

入院中は病院で食べる口休めを食べやすくして家族に持って行ってもらうとか、入院中に使うものをパッケージしたりとか。快気祝いの手配、配送、世話になった人へのメッセージカードをハンドメイドしたりなど。

ちなみに義母の趣味は踊り。
踊り仲間の皆さんがたくさん、お見舞いに来てくださいました。
さて、今回、そうした人生の先輩たちのありようにものすごく、教えられました。

例えば、K夫人。義母の住まいの玄関先に野菜などを置いてくださり、置き終わってご自宅に戻られたあと、電話で「召し上がって」と教えてくださるんです。

凄い気配り! 訪問してしまうと相手を疲れさせる、と考えてのご配慮ですね。

とても教えられました~。

K夫人は字も達筆、博識で様々な差配もぬかりなくというスーパーウーマン。踊り姿も威風堂々、それは凛としたお姿なんです。やはり、こうしたことすべてが板の上であの晴れ姿になるんだなあ、と思いました。

義母が「こんなくらい平気」とこらえていても、具合が悪そうだなと判断すると、さっと病院に電話してくださったかたもいました。普段はさりげなくさらさらとしたお付き合いなんですが、いざというときに力になってくださる。困難な時に本質的なもの、人柄が出るんですね。
私もそういう気配りのできる大人に近ずきたいなと思います。


ちなみにいろんな舞踊をあちこちの劇場、お店のショーなどで見て、自分のお稽古事の発表会などでどう所作を決めたらいいかの学びにしようと鑑賞機会を持ちますが、

板の上、舞台の上ではその人のすべてが出るとかねがね思います。
意地悪な人、気配りのない人、人の好き嫌い、選り好みがある人、コスパ重視、メリット重視の人の踊りはどんなにエキスパートの振り付けをもらっても、決定的な何かが欠落している。

あ、この人、張りぼてさん。エラソーにしているけど実は何もない空虚な人なんだわ、とか、
すぐわかる。
決定的な何かとは何か?

それは人への深い愛情です。
人を自分のように思い、大切にする気持ち。

それが欠落して自分が快適なことばかり追求しているからその踊りは、本当に空虚なものになってしまう。
われしらず、体が発信してしまう。
長年、バレエを踊り、教えているキャリアの先生があるとき、ふっと「このクラスには底意地の悪い人はいないわね」とおっしゃっていたけど、いろんなことがすぐわかる。伝わる。

だから日々の小さなことの積み重ねはけして無駄ではない。
ちゃんとやっていれば、それは心ある人に空気感染して、ちゃんと伝わる。

もちろん、間違ったこと、曲がったこと、同意できないことにはなあなあにせず
バシッとしなければならない。
厳しくもあらねばならない。
変なモノを寄せ付けない強さが必要。

が、基本は相手の立場に立つ。自分事のように考える。それを当たり前に淡々とやることが大切なんだなと思います。

F夫人の堂々とした晴れ晴れとした踊り姿はそういうことなんだな、とあらためて感じました。

人前に立つ機会を持つ人はすべて、観客に見られている、発信しているということを人の姿から学ぶといいですね。
誰しも年とともにきれい、かわいい、きびきびしているという点ではだんだん難しくなっていきますが、きらりと光りたいものですよね。


というわけで日々勉強!!
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月刊 木村佳子 3月1日更新
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by yoshi-aki2006 | 2019-03-06 10:07 | 人間考察 | Comments(0)  

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