趣味で続けているフラメンコ。私の場合は体幹と姿勢、音楽やカンテ、振り付けなどからうける心身への刺激から選んだ対象ですが、若くして運命のフラメンコに出会い、取りつかれたように踊り続ける人やプロになる人、芸術性をきわめて匠になる人、日本のフラメンコ業界をけん引し続ける人など、様々なかかわり方をされている方がいらっしゃいます。
しかし、いろんな意味で、フラメンコって難しい。というのもバレエのように劇場とほぼ一体化して世界的に公演を打ち続けられる規模感と比べ、フラメンコはそのルーティンが狭い。
バレエダンサーですら食べていくのがむつかしいのに、フラメンコダンサーはなおさら厳しい。特に日本でフラメンコで食べていくには、教室を主宰したり、タブラオなどで踊ったり、教則本、衣装アドバイザー、CM、舞台などでの振り付けニーズにこたえるなどで収入を得るほかなく、この中でほぼ、職業として成り立つのは「先生業」しかない。
下手な生徒相手に踊りを教えることはまどろっこしいことだろう。そんなことはしたくないんだ、踊りを極めたいんだと思ったところで舞台が定期的に開催されるわけでもなく、あったとしても大量のノルマチケットを引き受けざるを得ないこともあり、収入面では有名なダンサーでも厳しい(と、想像する)
先生業を成功させるのも簡単ではない。踊りだけうまい、いわゆる踊りバカでは先生業は務まらない。踊りがうまくて、頭がよく、人柄も大切だ。人柄がよければ生徒はつかめる。どんなに踊りがうまくても、性格が先生向きではないとか、事業として教室を営む才覚が欠如しているとか、生徒をスキ・キライしたり、その日の気分で教えたり、発表会のたびにおろおろ状態などメンタル弱い系、ヒステリー系だったりだと教室は続かない。
そうこうして心を砕き、経年のうちに、どんなフラメンコを踊り、人を魅了するかにおいて、極めていく時間と気力、体力が失われていき、形骸化、オワコンと背中合わせにもなってしまう。
というわけでフラメンコダンサーの置かれている状況は過酷だ。
アマチュアにも大なり小なり、似たお困りごとはある。
趣味だからと言ってだらだらと習っていてもけして納得のいくフラメンコにはならないし、そこに行くとみんながいて、なんとなく踊れて、ま、これでいっか的なフラメンコに終始しているとお子様の学芸会のようなもので終わってしまう。
「主婦だから、発表会で華やかな衣装を着て立つ経験が楽しくて、はまってしまった」
といっていたカルチャーセンターの奥様達のそのかかわり方ももちろんアリだと思うけれど、
それでいいんかい? 今のままでいいの?と気づかせてくれるのが他者の気合の入った踊りをまとめてみる機会だ。
第30回フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」が開催され、踊り手部門では47名の方が渾身の踊りを披露された。
ANIF日本フラメンコ協会公式サイト www.anif.jp|HOME|
皆さん、踊りこんでいる方ばかりでとても素晴らしかった。どの方も踊りといい、衣装といい、技術といい、情熱といい、心揺さぶられた。そして、渾身のカンテ、ギターにも聞きほれた。
その中から、とりわけ、深く印象に残ったのが
森永 泉美さん
尾場 心彩さん
二村 広美さん
森永 泉美さん
森永さんはソレアというフラメンコの演目としては王道のヌメロ(曲種)を踊られた。ちなみに、このソレアはここぞと決めたいときに選ばれることが多い。
森永さんは「きっと、指導者なんだろうな。キャリアは相当あるかただな」と思わせられる確かな踊りの魅力はもちろんのこと、とりわけ、衣装さばきが見事だった。肩からかけるショール(シージョとよばれるもの)の長い糸さばきがただモノではない。糸が長いシージョは踊りがしっかりしている人が身に着け、命を吹き込み、そして踊りと一体化するんだな、と思った。
フラメンコにとって、ふさわしい衣装とはどういうものかを考える大きなヒントをもらった気がした。
そして哀愁のこもったソレアは芸術作品として完成度が高かった。踊りでここまで哀愁を醸し出せるのはすごいこと。
尾場 心彩さん
たぶん、年齢的には15歳とか17歳とか、とても若い人のように見受けられた。にもかかわらず、彼女の踊りからはなんともいえない深い哀愁が漂っていた。伝わってくるものがあった。この若さでここまで哀愁を醸し出せる彼女の踊り手としての未来が見たいと思った。サムシンググレイトを抱えている原石で磨かれると、どんだけすごいことになるんだろうと感じた。
二村 広美さん
二村さんのクルシージョに参加したことがあり、明るくさっぱりした、しかし、しっかり核心に向かって前進される熱いものをお持ちのお人柄に初対面から魅了された。何度もスペインに行き、フラメンコを研究されているだけあって踊りと技術の境目が融合し、見事なシギリージャだった。そして二村さんの踊りにも深い哀愁が漂っていた。
ソレアにしろ、シギリージャにせよ、「悲惨な人生」に対する神、天、運命、人間社会、相手、自分への問いかけがある。その問いかけが踊りに出るからこそ、観る側は感動する。
私のような学芸会フラメンカ―は振り付けを覚えるので精いっぱいで、曲がどういう構成で、カンテの歌詞はこんな風に歌われていて、この踊りはこういうものなんだよ、という深堀りまではなかなかいかない。
しかし、フラメンコとは本来、サバティアード(足さばき)だけじゃない、振り付けだけじゃない、カンテとギター、パルマと一体化した総合芸術なんだ。それがあっての衣装であり、表情なんだということを強く思った。
学芸会フラメンカ―としてでも、その思いをしっかりもって、挑戦しつづける人として、ハイ、ガンバローッと。
ということで、また、いろんな踊りを観たいと思います。σ(゚∀゚ )オレ―
出演された皆様、ありがとうございました。お疲れさまでした!!