「その人」には訳がある!

連休の入り口というのに、悪天候と知床遊覧船の傷ましい事故の報道が相次ぎ、心が晴れ晴れしませんね。
観光業の方、飲食店の方たちも気の毒です。感染症以降、延々と苦難の日々にさらされている、と思います。

そんな中、「お家でプチ掃除」という過ごし方を選ぶ人も多く、どちらかというと私もそのクチです。
習い事の発表会が続くので、出張のないこの月は掃除と生活環境を整えること、体を鍛えることに専念しようと思います。

ところで、体調に影響していると思えるのはマスク生活によるばい菌のまん延です。
マスクをしていることによって逆に自己呼吸による口腔環境は悪くなっているのではないでしょうか。
なんで黙って道を歩いている時までこの暑い時期にマスクなのかな、とかねがね疑問なのですが、その点について証拠データを示して語ってくださる専門家はいないですね。
ばい菌にさらされ続けると敗血症になって命にもかかわるのではないかしら。
低酸素呼吸で頭にも影響がありそう、とも思うのですが。

さて、今日の表題の「その人」には訳があるについて。
ある程度、経験を積んだ大人になったからか、「その人」がどうして出来上がってきたのか、よくよく観察し、考えるようになりました。

皆それぞれにいろいろな事情があってここまで育って、生きてきた結果、「その人」になっている。
私もそうですね。
自分が出来上がる環境によって「今の自分」になっている。
自分を形作っている一つの大きな要素といえば「身近な大人」、例えば親の影響も大きいと思います。
加えて、生きてきた過程での経験値(経験知ともいえます)。失敗体験、成功体験など。
こういう時、失敗し、こういう時、うまくいったという経験値(経験知)。
失敗したとき、それは自分としてどう処理してきたのか。「次こそ、こうならない」「こんなの、私としては受け入れられない。次こそは失敗しない」という糧にしただろうか。
うまくいったときは恥ずかしくない「うまくいきかた」だったろうか。
そして、なぜ、その時、そう思ったのだろうかとか。

マザーテレサの言葉に
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

という有名なものがあります。いろんなシーンで「その人」がはっする第一声に耳を傾けるといいですね。その第一声に「その人」が如実に表れていると思います。

例えば。ずいぶん昔の話になりますが、ある時のこと。
出張の今まさに公共交通機関に乗らなければならないようなときに、それを知っている立場の人から、
「今いいですか~」とのんびりした声で携帯に電話がかかってくるようなことが三回続きました。
さすがに困って、「ごめんなさい。出張の当日の朝は特に忙しいので、急用でなければメールやショートメールにしてもらえません?」とお願いしました。

お願いする前には、「出張の朝は一分一秒との格闘です。特に今回は、分速で処理すべき案件が立て続けにありました」と詳細を伝えることで、状況を婉曲に伝えたのですが、返ってきたのは「お疲れ様でーす」という回答。
ガチョーン。
「お疲れ様じゃないだろーよ。緊急でもないのにその一番忙しいときに知っていながら電話してすみませんでした、でしょうよ」と。しかし、これが、通じないんですね。衝撃でした。

察っしてもらいたいという期待は裏切られ、「また、やられてはたまらん」と思い、ちゃんとお願いするしかないな、となったわけです。

すると、「実はこういう事情で」とその人固有の事情を延々と説明したメールが返ってきました。「事情があったからそうしていたわけであって、自分は悪くない」
と受け取られかねない。

これにも私はしばし脱力して、「そこか?」「それか?」と思いました。

いやいや、違うだろう。「忙しい朝と知りながら、これまで何度か、その当日に急用でもないのにのんびり電話したり、待ち合わせ場所をきちんと示さなかったり、仕事のまさに直前に急にいろいろ頼んだり、いろいろ段取り狂わせなことをやらかして、すみませんでした!」と謝罪し、「改善させます」との「明日」を示してくれることが大切だろうよ、と思いました。

「明日から二度と他者に迷惑なことはしません」と示すことが大事なのであって、言い訳がましい説明を延々と説明されても、わかってあげる気にはなれない。こちらは迷惑行為をやめてもらうことが目的。「個別事情によってはまたやります」と言っているように聞こえ、共感できない。

「なぜ、この人はこうなんだろう?」と考える日が続き、「よほど、かわいがられて育ってきた人なんだろうな」と思いました。意外と実のお母さんは強圧的でほったらかされて、おばあちゃんなどからは、いたせり尽くせりで育てられたのではないだろうか? どこか人恋しくて寂しくて実母にリベンジの気持ちや吐露も果たせていないのかな、と。
可愛らしい容貌の持ち主だから、周囲の人から激怒されるような環境には育ってこなかったんだろうなあ、とも。
ま、「そういう人」になってしまっているため、本人が気が付いて直すしかないわけで、もう言わない、言っても仕方がない、と思いました。

で、過去に自分も人にそんなことをしたことがあったっけなあ・・・・と振り返ってみました。すると!
私もやってしまってましたね。知り合いが転社したその日に大した用事でもないのに電話してしまったことが一度ありました。
なんであんなことをしたんだろう?
転社したしょっぱなの日に急用でもないのに、なんで電話したんだろう?

思い返すとその知り合いは丁寧に新しい連絡先を書き込んだ転社のあいさつ状をくれて、年賀状だけでなく、いつも、親しげによく連絡をくれていました。
そのベースがあったので、こちらは「親しいつもり」「気安く話せる相手」「相手はこちらに対してウエルカムなんだ」という思い込みをしてしまっていたわけですね。

で、ついうっかり、大した用事でもないのに、その日でなくてもいいのに、連絡してしまった。
後で考えると、その人のことを本当に思うなら、その日に電話するなんてありえないですよね。
転社初日にいくら何でもまずいだろ、常識で考えたらわかること。

なんでしてしまったのか? 「相手への思いやりをかいていた」「想像力がなさ過ぎた」と思います。想像力がない、というのは「バカ」ってことです。
ああ、申し訳なかったな!

可愛らしい言い訳さんのおかげで過去の至らない自分に気が付くことができたんですね。それはそれで感謝だなと思います。
それにしても、宇宙の法則というか、人にしたことはいつか自分に還ってくると思います。この因果律こそ、私は宇宙の法則だな、と考えます。
誰であれ、今の自分はこれまでしてきたことの因果の集積です。
素晴らしいことに、それを因果律で知る手がかりを与えられている。

可愛らしい言い訳さんは20年前の私を教えに来たヒントさんでもあったわけです。

さて、マザー・テレサの名言は次の文脈で発せられています。
折々に読み返してみるといろいろなヒントになります。

……………マザー・テレサ 地球の名言より…………

私たちは、この世で
大きいことはできません。

小さなことを
大きな愛をもって
行うだけです。

世界で一番
恐ろしい病気は、
孤独です。

もし貧しい人々が
飢え死にするとしたら、

それは神がその人たちを
愛していないからではなく、

あなたが、そして私が
与えなかったからです。

わたしたち一人一人が、
自分の玄関の前を
掃除するだけで、

全世界は、
きれいになるでしょう。

平和は、
笑顔からはじまります。

導いてくれる人を
待っていてはいけません。

あなたが人々を
導いていくのです。

あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて
人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し、
微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです。

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

大切なのは、
どれだけたくさんの
ことをしたかではなく、

どれだけ心を
込めたかです。

今、この瞬間を
幸せでいましょう。
それで十分です。

その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているもの
すべてであって、

他には何も
いらないのです。

私にできて
あなたにはできないもあり、

あなたにできて
私にはできないこともあります。

だから、ともに力を合わせれば、
素晴らしいことができるのです。

(転載ここまで)
http://earth-words.org/archives/2184

by yoshi-aki2006 | 2022-04-30 02:10 | シンキング | Comments(0)  

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