NHK「東京ブラックホール」を見て~バブル期を理解する手がかり

バブル期を理解する手かがりの一つとしてNHK「東京ブラックホール」を面白く見た。



映像で「懐かしいな」と思ったのは整備される前の地下鉄の駅。
「そうそう、あんなだった」と当時を思い出した。

そして切符切りの人の姿。押し寄せる電車利用者を当時はまだ改札に立つ通称「切符切り」という業務で人がこなしていた。
それは見事な超人的な技だった。
ある意味、あれが日本人の器用さ、賢さの源泉だったと思う。
切符をいかに早く切ってもらうか。客の側の技術も毎朝のように磨かれたし、改札に立つ人もそのあたりは心得たものだった。

それが今は自動改札。スマホやスイカ、イコカ、パスモなどですいすい行く。
改札という関門に無関心というか、特に注意せずにスルーしていく。

ところで、これは施政者にとって、政策実現のために利用できる仕掛けとして大きなヒントを与えている。そして、利用者は日々、パブロフの犬のようにレッスンを続けさせられている。
自動化は単に便利とか、時短とか、省エネとか人件費抑制だけでなく、大勢の人の利便性を高めるという表向きの、賛成を取り付けやすい取り組み以外に「便利さによって人を飼いならす」だったり「大事な通過点を意識させない」という面を持つ。

「だいぶん飼いならされちゃったよな」とバブル期と対比して、今を想った。
バブル期にはラストサムライがいた。バブル崩壊はそのラストサムライを消し去る装置としても機能した。


ところでNHK「東京ブラックホール」の中で紹介された女性がいた。
魔性の女という(おそらく本人もそう呼ばれるメリットは十分わかっているだろう)KAさん(番組では本名で登場されていた)。

華やぎのあるきれいな女性で、昔の写真などで特に目を引いたのは足の美しさだった。
六本木などの繁華街に繰り出し、バブル紳士たちと知り合い、
20歳のころ、地上げ屋として名をはせた中高年の実業家を友達の母親から奪って愛人になったという。マスコミでもはやされた。
20歳の身で父親以上の年齢の男性の愛人になれること自体、どんな家庭に育ち、どのような出自だったんだろうと想像してしまう。

そして、芸能界の個性的な人たち、野心家、絵図描きらが集まるレストラン経営者の三番の妻になり、子供をもうけたものの、数年後に離婚したという。

バブル期には濡れ手に粟状態で大金をつかんだ男性がたくさんいたし、クラブホステスなどにはそうした男性の愛人となって金目の物を貢がせた女性たちが少なからずいた。マンションやベンツをプレゼントされたり、高価な宝石、ブランド品を買い与えられた人たち。

KA子さんもいわば、その一人。ただ、「上がり方」がレストラン経営者であり芸能界などに一定の影響力を有した男性との結婚で、子をなしたことが人目を引いた。

しかし、45歳の時(今から10年位前になるようだ)、熟女クラブのホステスとして働くことになった、とインタビューなどで語られていることを知り、
「そこなんだよなあ」とちょっと引っ掛かった。

なぜ、また、そういう場所に身を置くんだろう? と。
当時から10年は経つ今はどうなさっているかわからない。
が、会社を興して女社長としてバリバリ仕事しているだとか、何らかの自立した姿を拝見できれば、すがすがしかったんだけど、どうしてまた、富と地位を持つ男性と知り合えることを求めるかのように水商売の前線に45歳(当時)の身空で身を置いたんだろう?と。
そこがひっかかり、せっかくの物語に水を差す。

女性は45歳から55歳くらいまでならなおも「色香」という点で、それを武器に使いたいと思うなら可能だ。
が、それを武器に使う発想を私は貧しい、と感じる。

せっかくの成功物語を45歳の時に「がっかりさせる」ように使ってはならなかった。

キレイで色香も十分ある女性がそれに頼らず、そんなものは自分の要素のごくごく一部である、といわんばかりの豊かな人生を送っていることが自他ともに望ましい、という知性が成熟とともに人といわず、世に広がれば、バブル期に対しても、バブルを嗤う人たちにも「負け感」なく平然と接せられると思う。

今日の方があの日より豊かである、と人々が、そして自分もが思えるように今日を過ごしたい。
そう思った。

by yoshi-aki2006 | 2022-05-06 10:23 | 事象観察 | Comments(0)  

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