第31回/2022年度 フラメンコ・ルネサンス21「新人公演」 3日目を観てきた!

通っている教室で挑戦する人がいて案内してくれたので、今年も忘れずに観に行くことができた。
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教室のチャレンジャーは華やかで堂々と踊っていて、「うんうん!」と思った。
いい結果が出ればいいね♪


さて、この日全般の感想。
どの出演者も猛練習し、いろんな準備をし、おそらくはそれなりに疲れ、かつ、緊張して本番に臨んでいる。
こちらは客席で観ているわけだから、精神的肉体的にはまったく状況は違う。
出演者に敬意を払えば「出演されているだけで、こっちは脱帽!」であるのは十分承知の上で、あれこれ感想を言うのは、ちょっと申し訳ない気がするけど、そこはご勘弁を。

まず、コンテストである以上、見ている側はいわゆるショーなどとは違って最初から、「この人はどんな風に踊るのかな」と査定モードからはいる。
だから、出だしでドタ感が出てしまうと、かなり減点気分になってしまう。
出だしでケチがついた場合、後半でよほど巻き返さないと減点をゼロにはできない。
傾向としては出だしが悪い踊りがその後、よくなることはまず、ない。
出だしで「どうよワタシ。ほら、見ろ!」とバーンと存在感を示すには相当メンタルが強くなければならない。
メンタル強く出だしを踊るには、全般に自信をもってなくてはならない。その時の踊りの工程に展望を持ててないとならない。ということは相当練習していないとだめだということになる。

展望なく踊る踊りには「迷い」が出てしまう。その迷いは客席に伝わる。するとこちらは置いてきぼりだ。どうにも乗れない。
乗れないとひたすら退屈してしまう。

もう一つ。言ってしまえばうまい下手は仕方がない。
要は舞台で踊る人がいかに楽しみ、音と歌と一体化してリズムを刻むか。
振付を正確に再現するだけでは見ている側の退屈感は払しょくされない。
振付そのものを再現できたとしても退屈感は減少しない。
しかも、「この振り付けではまず、コンテストで賞は無理だろうなあ」というまずい振り付けもある。
わかってないなあ、という振付。
なんでこんな振付になっているんだろうという振付。

その振付に「ここがあなたの見せ場だよ」という要素要素に踊り手が気ずいていないケースもある。
その場合、もったいないなあ、ということになる。
たぶん、この人、普通に会ったらいい人なんだろうけど、と。もっとそこで決めこまなくてはと。

衣装やアクセサリーもよく考えないとな、と思った。
キラキラしたものは衣装にしろ、アクセサリーにせよ、フラメンコの場合、多用すると踊りを減退させてしまう。タブラオのようなケースや群舞などではキラキラは効果的に使える場合があるけれど、大きな舞台で一人で踊りを見せるときにキラキラが邪魔してせっかくの踊りを台無しにしてしまうことがある。
衣装にラメが入るのは考え物だな、と思った。
髪飾りやイヤリングなどもやたらキラキラしているのはホント紙一重だな、とも。

キラキラさせずに溶け込むほうが好感度が高いことがある。
それを感じた。

また、勝手な踊りは衣装にも表れてしまい、この衣装でこの踊り、そして、あなたは何したい? という踊りには「違うよねえ、なんか」としみじみその人の舞台以外の物語を想像してしまう。

何を踊るか?
ワタシも習ったことのある曲種のソレア・ポル・ブレリアは踊りが好きで踊れる人が選ぶんだな、と感じた。
前半でソレア・ポル・ブレリアを踊った人がいたが、ほんとに魅せられ、すごいなと感心した。
その次に同曲を踊った人もリズム感と肉体技能が優れた人だつたけど、衣装が現代的過ぎたかな、と思った。
あまりに現代的な衣装だと加点を取りにくい傾向がある気がする。

というわけで、自分はヘロヘロふらふらメンコな踊りなくせして、いろいろ感想を書いてしまい、どうもすみません、と謝っときます(o^―^o)ニコ

皆様、大変お疲れさまでした。
このコンテストは優劣を査定する趣旨ではなく、一人一人が主人公という考えの元、新人にエールを送る意味で開催されているそうです。
ぜひ、オンライン配信も楽しんでくださいね。

詳しくは日本フラメンコ協会のサイトにてご確認くださーい(⌒∇⌒)




by yoshi-aki2006 | 2022-08-16 05:32 | アンテナ | Comments(0)  

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