身体能力と向き合う

ついこないだまで、できていたことが、できなくなっている。
よく、そんな声を聞く。
「えっ、まさか。そんなに急に体って変わるものなのか?」と半信半疑だったけれど、今まさに、「なるほど・・・」と実感する。
ついこの間まで、難なくできたことができなくなりつつある。
ちょっと無理をすると痛くなったりする。

引っ越しのたびに昭和の重い箪笥を一人で動かし、冷蔵庫だって引っ張ったこの私が、と愕然とする。

趣味のフラメンコで一緒に教室に通っていた人にも「えー、やめちゃったの?」という方たちがいて、それぞれの理由が体の不調だった。
あんなに全能感を感じさせる素晴らしい踊りだったのに。
足が痛くて踊れなくなった、とか腰が痛くなったとか。
残念だなあ、また、復帰してほしいなあ、と思うけれど、私もなんとなく足裏が前と違って結構、痛いなあとか季節の変わり目に関節が痛むなあとか身体の変化を感じる。

こんな風にして、だんだんできないことが増えていくのだろう。
時間の中で紡いでいる命ならば。

しかし、それもまた楽しめばいい。

ほー、これもできなくなりつつあるのか、とか、
へー、ついこないだまでできていたのに、とか
体の変化を眺めていくというのも、紅葉をめでるように時間の経過としてしみじみ味わえば、残念だとか悔しいだとか無力感だとかを一掃できる。

まあ、いいじゃないか。いつまでもできてしまえなくても。
高齢化が進行していく日本では、「ついこないだまでできた人」から「あれもこれもできなくなりつつある人」の比率は高まっていく。
そんな中に自分も混ざっていく。

ところで、そうはいっても「何ぐずぐずしてるんだ!」とか「何もたもたしているんだ!」と体全体でいらだっている若者を見ることがある。
改札でほかにたくさん改札ゲートがあるのに、わざわざ高齢者がゆっくりパスモ、スイカを検知器に充てているのをいらだって、その人がゲートを通過する前に自分のカードをすごい勢いで当てて、早くいけと言わんばかりに急き立てる。
若い男だったり、女だったり。
「あれはいかんよなあ」
とみていて思う。

なんて余裕のない奴らだろうかと。

が、かつて、20歳代の私もあんなだったなあ、と思い出す。
のろのろしている人にイライラした。
なんであんなにイライラしていたんだろう。
「できる」ことが当たり前で、そのことの万能感が心地よく、人にその自分のリズムを進行力を邪魔されるのが嫌だった、といったところかと思う。

そういうカチカチした状態もやがては手放さざるを得なくなる。
そして、それを嘆いたりしているうちに嘆いていてももったいない、と思うようになる。

楽しめ!
笑え!
眺めよ!

そして、さらに未来を思えばいい。できなくなりつつあることの次にはそのボロを脱ぎ捨て、別の場面転換を迎えることを。
どんな未知の世界があるのだろうか?
その世界はあるのか、ないのか?
それは「お楽しみ」として取っておけばいい。
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さて、東京五輪汚職で大物政治家の逮捕があるかどうか、SNS上ではいろんな名前が飛び交っているが、ひょっとしたらそろそろ秋の臨時国会の開催も迫っていることだし、逃げ切りとなる可能性もありそうだ。

私はこの事件の本質について「実はこうではないか」という仮説を立てて動画を作ってみた。



投資関係の直近の動画は以下の通り
https://youtu.be/vfrkKot36GY

【講演・出演情報】
9月26日 CBCラジオ 北野誠のズバリに出演します。ラジコで聞けます。
10月24日には大阪に講演に伺います(朝日ホール 主催/日本証券新聞社)
11月25日には名古屋証券取引所主催のイベントで登壇します。
11月には株主手帳でオンラインサロン形式のセミナーがあります。





by yoshi-aki2006 | 2022-09-23 06:46 | ライフスタイル | Comments(0)  

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