立場を変えて新たな視野を広げる

「とりかえばや」
相手と自分の立場を取り換えて様々な視点を発見してみる。

私が岸田首相の母であれば
「息子は世論が厳しい中、よくやっている」と思うだろう。
私が菅義偉氏の娘ならば
「お父さんは安倍首相への弔辞をお父さんらしい言葉と話し方でよく読んでくれた」と想うだろう。

立場が違えば、その人への思いは違ってくる。

国葬に反対するのは思想信条の違いもあるからそれにはとやかくは言えない。反対者は「税金の無駄使い」をあげたり、「憲法違反」を指摘したりしている。
確かに両方とも一理はある。
しかし、美学として、日本人の品格として、せめて多くの人が黙とうしている時ぐらい、静かにできないものか? 

花屋さんの問題。
「今日は献花で花が売れるだろう」とここまではわかる。
しかし、花品切れについて「三割マシの発注をしていたが売り切れた」と関係者がわびる姿に商売人として「普段の10倍の仕入れをしても足りないくらいの見通しは持てなかったのかな」と思う。

もちろん生産農家さん、卸しの関係でそんなに大量の仕入れはむつかしかったかもしれない。
しかし、いかになんでも三割り増しなんて少なすぎ。
こういう時は「売れ残ったら売れ残った時のこと」と腹をくくって、10割増しに仕入れる勝算に賭けるべきだったと思う。

今、五輪汚職で逮捕されている78歳の元理事。
口の堅さで折り紙付きで、だからこそ、その筋から「あいつは口を割らない」と信頼されてるという。
ゆえに三回も逮捕されてしまうことになるのだが、奥さんや子供たちはどうだろう。
豪邸は賄賂をかき集めたたまもの、といわんばかりの報道で日常生活にも差し障りが生じているのではないか。
なじみの美容院やお店には行きにくくなっているのではないか。

人は金持ちの転落話が大好きだから、マウントで勝利感を味わうために思い切り貶めに熱心になるはずだ。

元理事は拘置所で頑張って政治家擁護を続け、不起訴狙いをしていても、子供、孫たちの日常生活は辛い状況にさらされていることだろう。

私が元理事の家族ならやはりつらいと思う。
では、身近にそういう人の家族がいたらどうだろう?

向こうも辛いだろうからなるべく、顔を合わさないようにするかもしれない。
でも、あった時は何事もなかったようにふるまう。

ところで、ここまで生きていても、まだ、よく理解できないことも多い。

仕事で成功するために効率の良さを求めるなら「柳の下のドジョウを狙う方法」や「成功した人のまねを徹底する方法」がある。
実際、この二つを実践してそこそこ回している人はいる。

が、そういう人を尊敬できるか、好きかというとそれはない。
尊敬できないし、好きではない。
効率優先、人なんかどうでもいい、自分だけが成功すれば満足という人は人の講演先に忍び込み、レジュメを手に入れ、ほかで自分が「その人」になりきって話すのも平気だし、おとなしそうな著者の本を全コピーして本を出してしまうド厚かましいことも平気だ。

余談だががっかりする例もある。先輩だと思って敬っていたし、その人の実力には一目も二目も置いていた。失礼のないようにもふるまってきたつもりだった。別の人の本丸写し出版の苦情を耳にした時も「そんなことってあるのかな」とも思っていたけれど、ある時、目にした「指数見通し」に私が出した銭単位の数字まで丸写していた時には「うわー!!」とのけぞった。
ある意味、目標として憧れていた人に自分が影響力を持つなんて、ホントに寂しいことだ。

自分があこがれている人を徹底的にコピーして、自分がまだ手にしていないものを手に入れるためにはどんなことでもする輩は男にも女にもいる。
「そういう人」を知る人は「えげつない人だとは思うけど、うらやましがっている相手と同じものを手に入れてしまう点ですごい」という評価になる。
略奪愛といわれるようなこともこの構図から派生した行動なんだろうな。
「人の持っているいいものは自分も欲しい」
「その人のピカピカを奪って自分がピカピカしたい」

しかし、マネされた方の人が圧倒的に魅力的だし、好きになれる。理由はオリジナル版の人はメンターがいたとしてもそこからオリジナルな発想で新しいモノを発見し、世に提供する公益性を持つのに対し、マネ版は公益性より自身の効率性を優先している。そんな人を好きになりようがない。

が、その人の家族として観た場合、どうだろう。
「××ちゃん、よく頑張っているわね」とか「あなた偉いわ」というかもしれない。

しかし、コマーシャルのフレーズではないが、そこに愛はあるのか? という点で「?」である。

マウント好きな人。
マウントを仕掛けてくる人は「私はあなたより勝っている」ということを何らかの見下しシグナルや貶め行為で示す。
で「勝った!」ということを味わうことで自己肯定感を持つ。

こういう人の自己肯定の餌になるべきではない。
自分がマウント好きな人の家族ならどうなんだろうか。
「よしよし」とか言ってあげるんだろうか。スルーするのだろうか?

いずれにしてもそこに愛はないんだろうな。そう思う根拠は?
あったら、マウントなんかに興味がなくなるはずだから。








by yoshi-aki2006 | 2022-09-30 10:39 | Comments(0)  

<< フラメンコ界のキラキラ星みつけた! イカ・ゲームにハマった! >>