素朴な疑問だ。
日大だけ、なんでこんな大騒ぎになっているんだろう?
7万7000人もいる学生の中から現時点ではたった一人、不心得者がでた。そのために、理事長、学長、副学長までそろっての大記者会見が開催された。
東京農業大学では3名の不法行為をしていた学生が摘発されたが、大学側は「再発防止に努めます」とコメントしただけだ。
なのになぜ、日本大学だけ、こんな大騒ぎになっているんだろう?
それは理事長が林真理子さんだからだろう。
もちろん、過去の悪質タックルが大学指導者の指示という前代未聞のおぞましい事件があって、理事長の引責問題にまで発展した後のさらなる不祥事という点ではニュース性は高い。
あの日大でまた! というのがメディアの恰好の食いつきになったのは否めない。
しかし、理事長が林真理子さんでなければ、ここまで大騒ぎにはなっていないと思う。
理事長が別の地味な方であれば、記者会見などする必要もなかったろうし、東京農業大学方式でコメント対応で終わっていたと思われる。
記者会見そのものも、必要があったのかどうか。今一度、父兄、学生などステークホルダーたちで検証すべきかと思う。
なにより、静かにまっとうに学んでいるほかの日本大学の学生が気の毒すぎる。
林真理子さんは理事長ではなく、再発防止・大学改革対策室・代表みたいな形でご意見番としてかかわっておられれば、記者会見の場に居なくても済み、事件ももっと違った報道のなされ方があったろうと思う。
学長は医師であり、学問の府の人。
副学長は同大学OBの検事とはいえ、検察総務畑も長いご経歴だ。
ならば理事長として組織のまとめ役として澤田氏が事に当たった方がよかったのではないか。
澤田副学長が理事長を務めて現場を回せば、結果は違ったのではないか。
今回の日大記者会見は本当に特異に感じた。
たった一人の学生のために、こんなにも日大の汚染が連日、メディアに大々的に取り上げられた。
誰が一番の被害者だろうかといえば、日大に学ぶ現役の大学生だ。これから就職活動も控えている学生などは特にかわいそうだ。
記者会見など開かずにほかの大学生への影響を最小限に抑えることはできなかっただろうか。
一体、誰のための記者会見だったのだろう? 何のための記者会見だったのか? メディアにネタを提供しただけ、だったのではないのか? それで誰が得をしているのか? 誰が損をしているのか?
林真理子さんが記者会見に出るというので、ここまで大々的に報道されてしまってるわけで、地味な方が淡々と実務に当たっていればほかの問題ない学生たちを守れたのではないか。
適所適材という点において、人材登用の適格性に疑問を感じる。
これが日本大学の持てる関係者全体の知見の結果、というなら、「やっぱ日大ってなあ」ということになる。
ところで、誰が林真理子さんに理事長をお願いしたのだろうか?
林真理子さんは文学者たちの集まりの理事長も務められているので、理事長慣れはされていると思うけれど、文学者と学生は違うし、数の面でもけた違いだ。
今回の記者会見で林真理子さんに同情する声、不適格だという声、見識を問う声、いやいやよくやっているという声、様々あるが、無料広告という広告現象で見つめ直すと林さんはある意味、焼け太り状態にある。
メディアがどんどん報道してくれることで、名前が全国に知らしめられ、波及効果として本を読んでみようという気持ちにもなる。
理事長としての対価はどの程度かはわからないが、世間はいずれ彼女が小説として今回の件を作品化することに期待も寄せよう。
今回のことで決して林真理子さんは損はしていない。
林さんを起用したかった筋がいるとするならば、女性だし、作家だし、何かとメディアが取り上げてくれそう⇒学生集めには恰好の人という甘い見通しがあったのではないか。
自分たちには都合がいい人と映ったのではないか?
ところがどっこい、林さんはそんなことはお見通しで、そう思わせておいて、ここぞというタイミングをとらえて「記者会見」という大注目される場で勝負にでたわけだ。
理事長になったからには最大限にこの役職を消化する。お金で買えない体験をお金をもらってしているわけで、しかも広告効果は抜群と来ている。
今回の展開を観ていて、林真理子さんは広告企画力抜群で、誰かに似ているなあと思った。
そうだ、東京都知事の小池百合子さんだ。
男性は「女だから、なんとか、自分たちの意向に沿わせられるだろう」となめてかかる。
しかし、林さんにしろ、小池さんにしろ、そういうことは承知でタイミングをとらえて勝負に出てくる。
こうしたおんな勝負師の本質をしらないオジさん、爺さんたちは「時は今」の際の女丈夫の姿にただ、ただ、驚きあとずさりするほかなくなる。
オジさん、爺さんたちは女の種類をお母さんかオバサン、あるいは妹、お水系の女性しかしらない。
林さんや小池さんはそうしたカテゴリーの女たちを時には擬態しながら、実際は煮ても焼いても食えない怪女であることを一本も二本も取られてから知るのである。
そして、その力業を茫然と眺めるしかないのである。
ただ、そうはいっても、怪女にも泣き所はある。人の評価は棺桶の蓋を閉めるまでわからない。
いずれにしても、死して墓前に花の絶えない生涯を誰しも送りたいものよ。