松本人志 文春砲について

謹賀新年 本年もよろしくお願いします!

さて、さっそく表題だ。松本人志氏の文春砲記事を文春オンラインで全部読んだ。文春オンラインの会員になるとスクープがすぐ読めとても便利だ。
週刊誌をキオスクでも買いたいと思うけれど、荷物になるし、家や事務所にもって帰るとほかの人も読めていいのだが、私は活字が書かれたものはなかなか捨てられない。
当然、部屋には紙類がたまってしまう。そこで終活もありできるだけオンラインで読めるものは本体を買わないことにしている。

松本人志氏には何の興味もないので、少々のことがあってもどうということはないが、百田尚樹さんのライブ配信で「文春は相当な裏付けを取っているはず。でないと松本人志氏を広告に使っている企業がこの記事で降りたとしたら億円単位の損害賠償に発展する。したがって文春はいろんな証拠も揃え訴訟に耐えると判断したから記事にしたものと思われる」と発言されていたことから、企業のコンプライアンスの観点から興味を持った。

宝塚問題は阪急阪神HDに直結するように、松本人志氏を広告に使っているリクルートや出演させているテレビ局各社のコンプラ対処に注目なのだ。
上場企業の株価に関係することだからだ。
ちなみに私がリクルートの経営者なら、即、松本人志氏の広告は打ち切りにする。白黒はっきりさせると言っても相当時間がかかるだろうし、その間に垂れ流される広告はリクルートのイメージ低下に働きこそすれ向上させることはないとの判断からだ。

文春砲に書かれた松本人志氏の行状はものすごくリアルだった。
そして、記事を読んで一番最初に感じたことは「あー、こういうことやってそう」という感想だ。
当の松本人志氏は記事について明確な否定はしていないものの、彼が所属している吉本興業は事実無根として断固、抗議している。

そもそも、私は松本人志氏に対してはなんでこの人がお笑い界の大御所といわれるのか全く理解できない。
チャンネルをかえた時などにたまたま出演されているところを観ることはあるがどこか面白いのかさっぱりわからない。
かつ、申し訳ないがあの人相風体に強い違和感がある。テレビじゃなくて、こういう場所や場面で観たら違和感ないよね、とずっと前から思っている。
嫌いは嫌いでもまだ相棒の浜田雅功さんのほうが拒否感を覚えない。プレバトの司会進行などでの受け答えの妙にはさすがだなと感じる。
しかし、松本人志氏ってどこがいいわけ?
ホントにようわからんわ、とずっと思っていた。

そこに文春砲。
記事は松本人志氏の行動軌跡が手に取るようにリアルに描写されていて、北野武氏の映画に出てくるその筋の悪者の一シーンのように感じた。

こんなこと、やってそうだな。
なるほど。
場所も場所だし、やっていることもリアルだし、もし事実としたら、なんか間違っているよなあ、人としてのあり方が。
そう感じた。
裸の王様状態でこんなことになってしまっているのだろうな。
そして太鼓持ちの芸人、放送作家のほうがたちが悪いとも感じた。裸の王様に乗っかってずいぶん卑しいことをしているなあと。彼らの存在がすがすがしいものだったら裸の王様はあのようなことはできなかったろうに。
立場が弱いから? いや、違うでしょう。本質的に悪人なんだよと感じた。いつでも踏みとどまれたのに。いつでもその場、その仕組み、その構造から去れたのに。それで仕事がなくなったって構やしないじゃないか。

ところで、どんなことでも人に対して嫌なことをしたら、そしてそれが恨みにまでなったら、ブーメランは怖いよ。
松本人志氏に思い当たることがないなら、ブーメランは告発者に返っていくだろうが、思い当たるふしがあるなら、王様は自分が裸の状態であることに気がつくいい機会をもらったと感謝しなければならない。太鼓持ちたちは己のした行為がどんなものだったか、これを機に自分の中を照らしてみるといい。恥ずかしいよ。

このところ、人に嫌なことをいっぱいしてきたマネー業界に属す人が次々に悪病にかかって激やせし、悪魔のようなびっくりの見かけになっているのを、立て続けに見て、「ああ、やっぱりこういうことになって、この人のやってきた本質が如実に外見にまで現れてきたなあ」と感じた。
病気がその人や周囲に何かを教えることもあれば、文春砲のような恰好で「あなたのしていることは果たして人から褒められることですか?」と問われることもある。

他山の石としなければならない。

悪しき己の行状を核心的な人の善に照らして改めていかなければならない。

by yoshi-aki2006 | 2024-01-01 23:28 | 時事 | Comments(0)  

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