黄金分割

具合のよい配列、比率はすべからく黄金分割であるという。
ピラミッドしかり、
ミロのビーナスしかり、
モナリザしかり、
最後の晩餐しかり。

私はそれを女性の姿に求める。
非常に美しい人は多分、顔と体の比率が、あるいは目と口のバランスが、白目と黒目の配分が、顔と首の長さの比較が黄金分割であるに違いない。

が、しかし。自分のことは棚に上げて申し訳ないが、本当に美しい人はなかなかいない。
「あー、この人、顔がもう一回り小さくて手足があと少し長ければなあ!」
「あー、スタイルは抜群なのに、顔がフケ顔だなあ」
「とってもいい線いってるけど、目の表情がなんかおどおどしているなあ・・・」

服のファッションショーなどに招かれて一定時間、女性美を眺める時間があると、こんな具合に(自分のことは棚に上げて)、人を批評し、「惜しい!」「あー」と求めるものが多くなる。

そうした美とは別に「美は細部に宿る」というのもまた真実である。
取り立ててハッとする外見でなくても、なんとも奥ゆかしい女らしい表情に魅せられることはあるし、美醜でいうと後者であっても、話をさせると輝く人もいる。

今日は80歳近い女性とお話をさせていただく機会があったが、
細やかな心ずかいと凛とした生き方を感じさせるお話し振りに、
「立派な女性だなあ」と心、洗われた。

外見の美、細部に宿る「美」。

そして最終的には過ごしてきた時間。
体の中からその人が過ごした佳き時間が発光して、その人を輝かせる。
辛くても楽しくても私たちは時間の中で、己が糸をつむぐのだ。

ある人は涙で。
ある人は笑いの中で。
微笑みながら。
汗にまみれながら時間という織物を体の中に紡ぐ。

絹織物のように行かなくても、丁寧で豊穣な時間を紡ぎたいものだ。

by yoshi-aki2006 | 2007-04-14 23:59 | シンキング | Comments(0)  

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