黄金分割
2007年 04月 14日
ピラミッドしかり、
ミロのビーナスしかり、
モナリザしかり、
最後の晩餐しかり。
私はそれを女性の姿に求める。
非常に美しい人は多分、顔と体の比率が、あるいは目と口のバランスが、白目と黒目の配分が、顔と首の長さの比較が黄金分割であるに違いない。
が、しかし。自分のことは棚に上げて申し訳ないが、本当に美しい人はなかなかいない。
「あー、この人、顔がもう一回り小さくて手足があと少し長ければなあ!」
「あー、スタイルは抜群なのに、顔がフケ顔だなあ」
「とってもいい線いってるけど、目の表情がなんかおどおどしているなあ・・・」
服のファッションショーなどに招かれて一定時間、女性美を眺める時間があると、こんな具合に(自分のことは棚に上げて)、人を批評し、「惜しい!」「あー」と求めるものが多くなる。
そうした美とは別に「美は細部に宿る」というのもまた真実である。
取り立ててハッとする外見でなくても、なんとも奥ゆかしい女らしい表情に魅せられることはあるし、美醜でいうと後者であっても、話をさせると輝く人もいる。
今日は80歳近い女性とお話をさせていただく機会があったが、
細やかな心ずかいと凛とした生き方を感じさせるお話し振りに、
「立派な女性だなあ」と心、洗われた。
外見の美、細部に宿る「美」。
そして最終的には過ごしてきた時間。
体の中からその人が過ごした佳き時間が発光して、その人を輝かせる。
辛くても楽しくても私たちは時間の中で、己が糸をつむぐのだ。
ある人は涙で。
ある人は笑いの中で。
微笑みながら。
汗にまみれながら時間という織物を体の中に紡ぐ。
絹織物のように行かなくても、丁寧で豊穣な時間を紡ぎたいものだ。
by yoshi-aki2006 | 2007-04-14 23:59 | シンキング | Comments(0)