なりたち

凍てつく夜道を歩いていたらたこ焼きの竹の船が落ちていた。
そこにはソースがへばりついていた。
その竹の船を前足で押さえて必死で嘗めている黒い猫がいた。
なんともいえない「憐れ」を感じて、そのまま、自宅に連れ帰り家猫にした。
名前を富士子とした。

ある日、輪ゴムを三味線のように鳴らしていたら、富士子が目をシバシバさせて固まっていた。私を悪魔とでもいわんばかりの目で見ている。「あ、悪い人間に輪ゴムで攻撃されていたんだ」と気がついた。

また、富士子を抱っこしていて、何気なく彼女と視線が合うと、急に非常に怯えて猫パンチをかましてくることがあった。「あ、人間に何かやられていたんだ」と思った。その他、富士子は生きていくために身につけたらしい驚くべき習性を時々垣間見せる。苦労してきたんだ・・・と思った。

可愛がってあげよう。私は富士子を愛そうと努力した。が・・・。
どうしても、どこかですれ違う。人間に対して必死でおべっかを使うのだが、餌をもらってしまうと「あんたなんか所詮、私をいじめた人間と対して変わらないんだからね」とでもいうように手のひら返す。餌を用意しているとき必死で「お願い、早くして~」とうっとおしいくらいにパフォーマンスしていても、別の人が来るとおなじように擦り寄って行く。

富士子はものすごくふてぶてしい一面ももっていた。長いすのどまんなかを占領し、人が座ろうとすると寝たまま、手足を思い切り伸ばしてながーくなり、絶対に座らせない。それでも端っこに座ると伸ばした手を座った人の尻に当て爪を立ててギューッと押してくる。あっちへ行けというわけだ。共存しようという気がない。

私には富士子のいた路地から少し離れた商店街に好きな猫がいた。
3年も餌ヤリに通って家猫にゲットした野良猫の女王(彼女目当てに多くの人が餌やりに通っていたのがうなずけるスーパーエクセレント美猫)のハチ子だ。

ハチ子は行動に「筋道」(猫道)があり、品もあった。
私はハチを愛して止まなかった。

富士子のあまりの猫悪非道ぶりに時々、「どのようにして富士子は出来上がったのか?」とそのなりたちに思いをはせることがあった。気の毒に思いながら、いつも「私は富士子を愛すことができない」とため息混じりに首を振った。かたくなで人と共存しない。そのくせ、猫欲は猫一倍で恥も外聞もなくがっつく。ノドもと過ぎれば世話になった人にしらーん顔している。そしてそんな猫分を省みない。

富士子と似た人を見ると、富士子が死ぬまで治らなかったように「このまんまなんだろうな」と思う。富士子から、いろいろ教わったので、人間界の富士子もどきさんには深入りしないようにしている。猫の恩返し?

by yoshi-aki2006 | 2007-04-15 10:10 | シンキング | Comments(0)  

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