小松原庸子舞踊団 真夏の夜のフラメンコ鑑賞
2007年 08月 04日
会場には通っている教室の仲間の姿もたくさん見かけた。
多分、よその教室からも大勢いらしていると推測。
開演までの間、通路を歩いている人の姿を観察。
私は踊り以前のレベル。それはさておき、目だけは肥えた。
歩いてくるヒトの姿を拝見するだけで、
「あ、この人は代理教師の域に達しているヒト」とか、
「あ、この人はまだ踊りはじめて半年くらい」とか、
だいたい分るようになった。
「この人、きっとうまいはず」と見ていたら、「先生~」と遠い座席から声をかけられている。
「やっぱり」と思う。
踊りこんでいる人は体が違う。
首、二の腕、背中、ウエスト、足首などを見るとわかる。
フラメンコはアスリート並みに体力を消耗するので、お嬢さんお嬢さんしたヒトはレッスンの過酷さにびっくりして続かない。だから、やわな体の人は初心者と分る。
体が続く人、そして「続けよう」と意欲を持つ人。それがフラメンコの第一歩だ。
体力と気持が続かなければどうしようもない。
体が動いて、気力もあって、お稽古のお金も続き、さらに顔もきれいで、性格もスタイルもよければ立派な先生格。だが、六拍子そろう人はなかなかいない。
しかし、それだけそろっても踊りの世界で名を成すことはできない。
すべてそろった上に「華」というか「輝き」を放てること。
それがスターだ。
うまいだけでもダメ。まじめに踊っているだけでもダメ。
華、輝きがない人はいつか、光を放てる日を信じて愚直に努力するしかない。
スターにはもう一つ必要なものがある。慢心しないことだ。
輝き続けるには自分を磨き続けるしかない。
「明日」を手に入れるにはそうするしかない。厳しい世界。好きでなければ続かないというのがホントのところだろうか。
しかし、この苦しみが人を磨く。苦しみぬいた果てに魂の踊りを舞える芸術家に昇天していく。
ちなみにおととし、イマイチだったAさんは昨年めざましくよくなったが今年はいまいち。
毎年、感嘆符がついたBさんは今年元気なく、スルーしていたCさんが今年は絶好調でひと目を引いていた。
好不調の波もあるのだ。輝き続けることは容易なことではないなあ・・・。私のようなフリーランサーの世界にも通じることだけど。
by yoshi-aki2006 | 2007-08-04 22:44 | 人間考察 | Comments(2)