郵便局は国営に戻せー 2

よく行くのですっかり顔なじみになった郵便局の窓口の人が数名いた。
私の書いたあて先の町の郵便番号が分らない、というとその窓口の人は「あ、××町ですね。それは×××番です」というふうにすらすらと答えてくれた。

読み方の見当もつかなかった北の果ての町の郵便番号。
町の名前に精通し、郵便番号もぱっといえる。そんな局員さんはいわば無形文化財のような存在だと私は思う。

それを民営化したらどうなるか。

私は「お茶汲み当番」を無くしたのも日本文化の大損失だと思っている。
お茶汲み当番に当たらすとも、お茶を入れて人に出した事はある。
お茶の葉はどれくらい?
お湯の温度は?
お客様用の湯飲みは?
茶たくは?
お菓子は出すの、出さないの?
二煎目を出すタイミングは?

人にお茶を出すということのためにどれほど、場を読む力が必要だろう?
気配りが必要だろう?

そういうものを差別だ、無駄だと排除して、今では来客にもペットボトル、会議というとペットボトルだ。学ぶ機会を狭くしている。ビジネスの現場で生の修行をする機会をみんなでよってたかって放棄して、習いたい人は手前勝手に習いに行きなさいという社会にしてしまった。前は会社で学ばしてもらえたのに、学びに行くには自分でコストを払わなければならない。会社で学ぶ機会を剥奪したのは株主利益?

強欲な株主が社会を良くするとは思えない。
社会を良くする株主道を株主も学ばなければならない。むさぼるだけならケモノと大差ない。

日本の文化が薄っぺらになったと感じるなら、
それは難しい町名をいえる現場職員や
人をほっとさせるお茶の入れ方を学ぶ現場や
そのお茶の味が分る人を私たちは排除し喪失する道を選んでいるからである。
誰から奪われたのか、よーく考えないといけない。
郵貯民営化で私たちが失うものは突き詰めれば「文化」である。

民営化後の郵便局で町名を芸術に達する域でいえる人が出現するには何十年とかかると思う。もっともその前に廃村廃町になる市町村は多々出ようけれど。

by yoshi-aki2006 | 2007-12-29 09:50 | 提案 | Comments(0)  

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